TOPICS010:サヴィニャックとともに旅を その④ 23.04.2018

この連載トピックスの第一回第二回第三回では、「鉄道」がテーマのサヴィニャック作品を取り上げました。鉄道というものは、基本的には安全・正確・快適、時には高速な「移動の手段」であるのみならず、「旅の演出」に関する創意や工夫が求められ、これらを踏まえて、優れた車両、駅舎、サーヴィス、広告などが導かれます。ちなみにフランスは、サヴィニャックの時代以前から今日まで、鉄道の充実度が高い国の一つです。
一方、フランスの「自動車」も、産業の力とデザイン面で世界的に知られています。サヴィニャックからすると、ルノーシトロエン(母国の自動車メーカー)は、戦後の重要なクライアントですが、自らハンドルを握り、のどかな「クルマの旅」を楽しんだ経験が、ポスター制作に活かされた、として良いでしょう。その珠玉――カジュアルでおしゃれ、しかも「フランスらしいスタイリング」の小型大衆車と、サヴィニャックによる「フランスらしいグラフィズム」の見事な合致は、《ルノー4》(1963年)に見て取ることができます。

本展では、「野山を駆ける赤いハッチバック」の姿で描かれる「4」(キャトル/愛称=キャトレール)ポスター、原画、再制作のデザイン画、巨大絵画が出品され、いずれも興味が尽きません。

  

特に、ポスターよりも大きい「絵画」は、美術作品ではなく、ポスターのイメージを拡大したディスプレイ・グラフィック(自動車の展示会の背景画)ではないか、と推測されます。

本展監修者のティエリー・ドゥヴァンク氏(パリ市フォルネー図書館学芸員)は、「R4」という文字情報の右下の「山の頂上」が、
*原画では丸い
*ポスターは「印刷のかすれ」で生じた「くぼみのあるかたち」を呈する
*この「偶然の形状」まで「なぞった」のが巨大絵画
しかし、フランスは火山が少ないことや、原画には見られないディテールである点に留意すべき、と指摘します。すなわち、サヴィニャックのポスターを手本としたディスプレイかも知れない、というわけです。事実、ポスターに基づくサヴィニャック自身の再制作(デザイン画)を見ると、山頂はくぼんでおらず、なだらかな丸みを帯びているのです。さらに、大きな「絵画」が「自動車の展示会の背景画」だとしたら、という仮定で、「4」の実車と比較してみると、クルマの方が60cm以上長い計算になります。また、実際の車高は、サヴィニャックのイラストレーションよりも低いプロポーションです。言い換えると、実車に比べて「愛らしく」表現することで、赤いハッチバックの「フランスらしさ(特徴・魅力)」を、より多くの人々に、より分かりやすく伝える意図があったのかも知れません。(続く)

[関連ニュース]
当館での本展は、いよいよ4月29日に始まります。開幕に向けての準備もたけなわで、美術館の建物回り、周囲の緑の中には、サヴィニャック作品を用いたサインがいくつも掲出されています。《ルノー4》(1963年)は、もちろん登場しました。

このポスターのように、「サヴィニャックとともに“野山”の旅を」味わい、宇都宮へのドライヴも楽しんでいただければ幸いです。交通案内は、こちらをご覧ください。

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TOPICS009:サヴィニャックとともに旅を その③ 19.04.2018

1933年にアリアンス・グラフィック社の下請け、その翌年になると、同社の看板デザイナーの一人A.M. カッサンドル(1901~68年)のアシスタントになったサヴィニャックは、自身の将来を見据えて、フリーランスの仕事も引き受けるようになります。しかし、理論・実務を学びながらの活動は、1938年の冬に終止符が打たれました。カッサンドルがアメリカへ渡ったからです。
カッサンドルの紹介により、ポスター下絵師・図案家として職を得たドラジェール兄弟印刷所も(在職1938~39年)、第二次世界大戦に伴う従軍で辞めざるを得ず、「ポスター作家 サヴィニャック」のキャリアは、除隊後の1940年以降、実質的には《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)の登場をもって本格的にスタート、という紆余曲折を経ました。
よって、カッサンドル風の「旅物」ポスターは、創造の糧になったとは言え、1940年代後半には姿を消し、やはり鉄道会社がクライアントであっても、およそ趣の異なる、つまり「サヴィニャックらしい」ものに置き換えられていきます。
本展で注目したいのは、フランス国有鉄道(SNCF)「お得な切符」シリーズ(1964年)。同じ構図・文字情報による「ムッシュ編」「マダム編」は、両者の対比と、並べて掲出した時の効果、個別で見ても「半額料金」を示唆する「右半分のみ描いた人物表現」が印象的です。

今回は、二つのポスターの「原画下絵」も出品されているため、これらとの比較も可能であり、「アイディア・スケッチがポスターとなるまで」の工程を窺い知ることができます。

作家、国・地域、時代、技法などで異なるので、あくまでも「フランスの近代ポスターに顕著な一つの方法」として記すと、
①アイディア・スケッチ
②ポスター原画の下絵=「絵」が主体
③ポスター原画=「文字」をアタリで添える
④製版用のポスター原画=「文字」「ロゴマーク」などを正確に入れる
⑤製版
⑥印刷
⑦ポスター
の流れで制作され、サヴィニャックの場合、①②③は自ら手がけ、④以下の工程は美術印刷所の現場にお任せ、もしくは簡単な確認で済ませた可能性が高い、として良いでしょう。②と③、③と④の間には、絵柄の拡大(縮小のことも)トレースがあるので、方眼紙やグリッドを引いた紙が用いられ、あわせて製版・印刷に見合った細部の省略、文字やロゴマークとのバランスを鑑みた修正を行い、クライアントの最終チェックを受けて、版を作り、ポスターが刷り出されます。このような工程があるからこそ、「お得な切符」シリーズにおいては、
*人物の表情・プロポーション:原画下絵は可愛らしく、ポスターは重々しい
*同・服装:原画下絵は合服、ポスターは冬服
の点で、かなりの相違が見られます。どちらも「サヴィニャックの作品」ですが、後者に現場の判断と、クライアントの意向が反映されているのは確かです。(続く)

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NEWS004:図録正誤表のお知らせ 17.04.2018

本展の展覧会図録に付随する「正誤表」をサイト上に掲載しました。
詳しくは、こちらをご覧ください。
第一会場・練馬区立美術館(2018年2月22日~4月15日:会期終了)で図録をお求めになられた方は、正誤表が入っておりませんでしたので、ダウンロードしてお役立ていただければ幸いです

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TOPICS008:サヴィニャックとともに旅を その② 17.04.2018

サヴィニャックの仕事としては、最初期のエディトリアル・デザイン、パンフレット「夏の外国旅行」(1935年)は、旅行鞄の表現に「写真」に対する意識、地図との組み合わせやタイポグラフィは「構成主義」の志向が感じられ、全体のまとめ方には、その頃サヴィニャックが師事したA.M. カッサンドル(1901~68年)の影響が窺えます。
ここで関心がそそられるのは、年齢的には6歳しか違わず、しかし当時のキャリア、知名度で雲泥の差があった両者の出会いです。まず、コレージュ(フランスの4年制中等教育機関)を中退したサヴィニャックが、パリ地域公共交通公団STCRP。現・パリ市交通公団)の見習い図案画工を経て(在職1923~24年)、ロベール・ロルタック広告アニメーション工房画工も辞め(在職1925~29年。但し28~29年は兵役のため一時離職)、フリーランス活動の第一歩を踏み出した頃、すでにカッサンドルは、「通りすがる者の視線を瞬時にして釘付けにする」ポスターで、花形デザイナーの地位を築いていました。なかでも、本展出品作の《北部鉄道:快速、贅沢、快適》(1929年)

など、1920年代後半におけるカッサンドルの「鉄道ポスター」は名作揃いです。
1931年になると、カッサンドルは、やはりフランスのモダン・グラフィックの第一人者シャルル・ルーポ(1892~1962年)と共同で、広告代理店(今日のデザイン事務所)「アリアンス・グラフィック社」を設立。その肝煎りを務めたのが、1926年以来、カッサンドルのポスターを制作したレオナール・ダネル工房リールの美術印刷社)のモーリス・モラワンでした。前述の《北部鉄道:快速、贅沢、快適》がダネル工房によるのは、言うまでもありません(画面中下に「IMP. L. DANEL – LILLE=リール市、L. ダネル印刷」の印記)。


一方、独学・実務経験の乏しさもあって、チャンスに恵まれなかったサヴィニャックは、1933年、一念発起してアリアンス・グラフィック社を訪ねます。そして、アポ無しの飛び込みだったにもかかわらず、カッサンドルに会うことが叶い、すぐさまポスター1種とチラシ2種の仕事を与えられたのです。ところが、翌年にモアランが急死したため、同社は倒産・解散に追い込まれ、以降、サヴィニャックは、カッサンドルの私設アシスタントとなりました。この時代にサヴィニャックが手がけた《北部鉄道:ディーゼル特急》(1937年)

は、カッサンドルを踏襲した「(超)一点透視図法」のスタイルで、丸みを帯びた流線形が特徴的なディーゼル特急車両「34/37形」を全面に打ち出したもの。
制作はパリのダネル工房ですが、興味深いことに、消滅したアリアンス・グラフィックの社名が使われています(画面右下に「ALLIANCE GRAPHIQUE|L. DANEL|Paris=パリ市、アリアンス・グラフィック/L. ダネル印刷」の印記)。

また、同じ図案でありながら、下半分の文字情報(本作「ディーゼル特急|パリ~ブリュッセル3時間|パリ~リエージュ3時間50分」)が異なる色違い版も存在し(別作「ディーゼル特急による速達な旅|パリ~リール2時間25分」)、当時、カッサンドルの名声を借りた「旅物」が、どれほどクライアントと大衆にとって魅力的だったかは言わずもがな、として良いでしょう。(続く)

[関連ニュース]
本展の第一会場・練馬区立美術館の開催は、大変な賑わいのうちに無事終了いたしました。いよいよ来る4月29日(日)からは当館で始まります。期待の第二会場で初めて観覧される方はもちろんのこと、練馬へお越しになった方も、ロケーションや空間が異なる宇都宮を再訪し、「サヴィニャックとともに“北関東”の旅を」味わっていただければ幸いです。また、図録を買いそびれた皆さんも、ぜひご来館くださいますようお願い申し上げます。

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TOPICS006:「サヴィニャックとデザイン史の本棚」の設置 12.04.2018 ※以降 随時更新

サヴィニャックデザイン史の本棚

本サイトのトピックスで取り上げた書誌に加えて、展覧会の準備や図録制作で参照し、サヴィニャックとデザイン史を知るうえで役立つものを、一言コメント(*)付きで随時追加いたします。
基本的には、図書館、美術館、書店やオンラインで入手可能な日本語文献を中心としています。

●サヴィニャック関連
[展覧会図録]

(画像はありません)

『フランスのユーモアとエスプリ サヴィニャック ポスター展』 西武美術館, 1989年

*すでに30年近く前の図録のため、本書に収録される亀倉雄策のエッセイをお読みになりたい場合、下記「デザイン史関連」で挙げた『亀倉雄策の直言飛行』をご覧ください。

『サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法展』 練馬区立美術館+宇都宮美術館+三重県立美術館+兵庫県立美術館+広島県立美術館, 2018年
*本展の公式図録です。
*正誤表はこちらをご覧ください。

●デザイン史関連
[図書]

アラン・ヴェイユ著, 竹内次男 訳 『ポスターの歴史』 白水社, 1994年
*サヴィニャックを含む「フランスのポスター史」を学ぶための良き入門書。原著は下記となります。
Alan Weill, L’Affiche française, Presses Universitaires de France, Paris, 1982

亀倉雄策 『亀倉雄策の直言飛行』 六耀社, 2012年(新装版)
*1989年のサヴィニャック展(於・西武美術館)のために書かれた「サヴィニャックはフランスの文化である」を所収。同時代の他のデザイナー、デザインと芸術・文化に関する読みやすいエッセイ集です。

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TOPICS005:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード エピローグ――デザイナーの眼 11.04.2018

《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)のポスターで大きな弾みがついたサヴィニャックは、最も得意とする「シンプルで伸びやかな表現のイラストレーション」による作品群で、とりわけ1950年代~1960年代のポスター史に揺るぎない地位を築きます。もはや「自主制作のポスター原画」を描き、広告代理店回りやクライアント探しに奔走せずとも、フランス内外の名立たる企業から、さまざまな仕事の依頼が来るようになったのです。エール・フランス航空のシリーズで「マルティニ大賞 特別賞」(1956年)に輝いて以降、受賞歴を重ね、国際的な評価も高まりました。
とは言え、1970年代になると、連載記事の第四回で言及したアート・ディレクター制度の定着と、これに伴うコミュニケーション・デザインのあり方、それを受け止める社会それ自体の様変わりには抗えず、仕事量が著しく減ります。年齢的には60代に入っていました。それでもなおサヴィニャックは、引退など眼中になく、自ら編み出したグラフィック表現、制作手法を、むしろ公共広告や、1982年から創造・生活の拠点としたトゥルーヴィル=シュル=メールの地域活動に活かし続けるのです。

そんなサヴィニャックについて、同時代の日本人グラフィック・デザイナーで、親交もあった亀倉雄策(1915~97年)は、敬愛を込めて「フランスの文化である」と称えました(展覧会図録『フランスのユーモアとエスプリ サヴィニャック ポスター展』西武美術館, 1989年)。すなわち、フランスのポスター作家ではなく、この国の文化を体現する存在だと。
では、もっと若い世代のクリエイターに対して、サヴィニャックは如何なる「糧」を残したのでしょうか。
「連載記事《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード」の締め括りは、そのリアルな声――まさにサヴィニャックの申し子にして、彼を世に送り出した「牛」のモティーフを効果的に用い、当館のポスターチラシを手がけられたグラフィック・デザイナーの岡田奈緒子さんにお話を伺いました。

【サヴィニャック2018@宇都宮美術館 特設サイト(以下・宇)】まず、岡田さんにとって、サヴィニャックはどのような存在ですか?
【岡田奈緒子さん(以下・岡)】 イラストレーションと広告を高度に融合させ、アートと呼べる領域にまで高めた偉大なイラストレーターであり、グラフィック・デザイナーです。
【宇】 第一会場の練馬区立美術館で、実作をご覧になった感想は如何でしたか?
【岡】 サヴィニャックの「絵」や「ポスター」のイメージ、これらに関する知識に触れてはいたものの、展覧会場で現物を前にすると、その圧倒的なサイズ鮮やかな色彩に驚かされました。【宇】 それほどの巨匠の大回顧展の印刷物となると、かなり熟考されたかと想像されます。今回の全体コンセプトと、個別アイテムのデザインについて、ぜひ教えてください。
【岡】 最初に五館共通の「展覧会図録」(練馬区立美術館宇都宮美術館三重県立美術館兵庫県立美術館広島県立美術館, 2018年)に取り組んだので、これが出発点になっています。本展は、原画やデザイン画が多数出品されるため、サヴィニャックのデザイン画に引かれた「グリッド」を、図録のエディトリアル・デザインのベースに取り入れ、老若男女を問わず受け入れられるサヴィニャックの絵の可愛らしさ、魅力を生かす配置と、多色使いの鮮やかなカラー・スキームを意識しました。表紙だけはでなく、本文の随所に「切り抜きイラストレーション」を入れることで、親しみやすいデザインも心掛けています。続いて、図録を踏まえて、そのイメージを活かしながら、同じく「グリッド+切り抜きイラストレーション」というコンセプトを採用したのが、「宇都宮美術館の宣伝物」です。そして、サヴィニャックの「グラフィック・デザイナーとしての側面」を打ち出すために、ポスターとチラシの背景には「幾何学的に見える書体」を大きく入れ、グラフィカルな紙面構成を試みています。一方、チケットは、券種ごとにイラストレーションを変え、展覧会に行きたくなるような楽しさを演出しています。【宇】 「紙」に対するこだわりも感じられますね。
【岡】 ポスターとチケットは、敢えてザラっとした紙(ブンペル ホワイト 四六判 Y 95.0kg)を選びました。今日の印刷物を特徴づけるシャープさを抑え、懐かしさレトロ感を優先したテイスト、サヴィニャックの時代感覚を実現するためです。逆に、送・配布量とともに、多くの人々が手に取る機会が多いチラシは、見やすく、なじみの良い紙(b7ナチュラル 菊判 Y 59.5kg)にしています。
【宇】 仰る通り、サヴィニャックが最も輝いた時代のムード、彼の個性も「質感のあるポスター用紙+リトグラフ」に負うところが大きく、しかも半世紀以上も前の作品ですから、今になって見ると、物理的に「古色蒼然」としたものになっています。この独特なテイストを、現代のデザイナーの眼と印刷技術によって、岡田さんは秀逸にまとめられましたね。それでは最後に、岡田さんが代表を務めておられる「ランプライターズレーベル」をご紹介ください。
【岡】 グラフィック・デザイナーの岡田と、編集者の小林功二で構成されるデザイン・ユニットです。雑誌、書籍、カタログ等の編集、エディトリアル・デザインを中心に、企画からデザインまで一貫した提案を得意としています。
【宇】 本日はお忙しいところ、ありがとうございました。当館での「サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法」展が始まりましたら、ぜひご高覧ください。

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TOPICS004:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その④――サヴィニャックの姿勢 09.04.2018

《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)によるサヴィニャックのデビューは、ポスターに代表される「コミュケーション・デザインのつくり方」が変わり始めた時代(1950年代/1960年代)の出来事です。
「ポスター原画」の概念は、20世紀初頭には、画家による「」(これをトレースして美術印刷所が「文字」を添える)から脱却し、1920年代~1930年代になると、商業美術家(グラフィック・デザイナー)が工夫を凝らす「絵+文字=広告図案」へ進化を遂げました。以降、クライアントの要望と、社会の反応を踏まえた「絵+文字+アルファ(広告戦略や宣伝技術など、コマーシャル・プランニングの原理)」という認識も高まります。
但し、ポスターを制作し、世の中に広める実務は、作家のアトリエ、デザイン事務所、印刷所内のさまざまな部署、クライアントである企業や公共団体、これらの橋渡しや配布・掲出を行う広告代理店などの分業の上に成り立ち、この複雑な構造は、現代においても同じです。こうした分業を、創造的に統括・監督するのがアート・ディレクターの役割、とする発想が、「つくり方の激変」を促した「アート・ディレクター制度」にほかなりません。
よって、アート・ディレクター制度の浸透は、「原画を生み出す者」の姿勢に大きな影響を及ぼします。サヴィニャックの場合、一貫して自身の「絵」を大切にしながら、むしろ現場の判断に信頼を置き、分業を担う多くの人々とのマジックを楽しんだ印象を受けます。言い換えると、サヴィニャックは、それほど絵が上手いポスター作家であり、いわゆるアート・ディレクターとは異なる姿勢に徹した、として良いでしょう。
だからこそ、今から半世紀以上も前、という時代背景を考慮しても、同じ「牛」が、ヴァリエーションとなるポスターでは違う風貌を見せ、彼の「絵」に基づくノヴェルティも、姿かたちが若干相違するのです。晩年の再制作に至っては、後から分析してみると、実は良く出来た絵だった!という愉快な自画自賛だったのかも知れません。

[はみ出し情報]
何度も言及してきた「牛乳石鹸モンサヴォン」について付記すると、「私の=モン(mon)」「石鹸=サヴォン(savon)」を意味するフランスの家庭用(身体洗浄用)石鹸の誕生は、1920年に遡ります。当初はクリシーの「フランス石鹸社」の製造・販売で、やがてラヴェンダー香料入りの製品もお目見えしました(1925年)。1928年にはロレアルによって買収され、以降、フランスの著名ポスター作家を起用した広告展開が図られます。ファミリー・ブランドとしての定着は、もちろんサヴィニャックの「牛」と、やはり彼が手掛けたパッケージの功績が大きく、本展では、《ドップ&モンサヴォン:身体を洗って、良い匂いをさせて》(1954年)の画中(右側の女の子の手)に、フランスの家庭を席巻した「青いパッケージ」を見て取ることができます。その後、プロクター・アンド・ギャンブル(1961年)、サラ・リーH&BCフランス(1998年)、ユニリーヴァ(2011年)と親会社は変わりますが、往年の名ブランドは、新しいライフスタイルに合致したかたちで健在です。

※この連載トピックスの第一回第二回第三回も、ご一読ください。また、サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。

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TOPICS003:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その③――当時の業界 07.04.2018

広告代理店「広告コンソーシアム」のインハウス時代に「お蔵入り」となった原画が、求職中に開催した二人展の会場で、馘にされた代理店・親会社のトップに見出され、輝かしいデビューにつながる――《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)のポスター誕生をめぐるエピソードは、一見、ほほえましい華やぎに満ちています。
しかし、代理店の側から見れば、アイディア段階の広告図案が、退職したサヴィニャックの手元に個人の仕事として残されていたことは、信義・権利の点で、少なからぬ問題を引き起こしかねなかった、と想像できます。クライアントであるロレアルの側においても、たまたま広告対象と関係者が完全に一致する珍しい状況だったにせよ、永遠に忘れられたかも知れない名作を、短い年月の間に再発見し、効果的に活用できたので万々歳、という美談では済まなかったのではないでしょうか。但し、こうした分析は、あくまでも「現代のコミュニケーション・デザインのつくり方」に照らした推論です。
そこで、このエピソードを「当時の業界」の眼差しで整理すると、たとえ商業美術の枠組みに置かれ、純粋絵画ではなくグラフィック・デザインの理論に従い、「絵+文字=広告図案」のかたちで制作されたものだとしても、原画はクリエイターの創造的な精神・活動に帰属する、という意識が、19世紀末~1950年代/1960年代のフランスのポスター作家には強かった、と言えます(アートの世界に近い)。サヴィニャックもご多分に漏れません。一方、原画を経済の論理で、しかも別種のクリエイティヴな力をもってポスターとして世の中に着地させノヴェルティなどの二次展開を図るのが、その頃のクライアントと広告代理店の役割でした(デザインの世界に近い)。

今でこそ、ポスターや他の印刷物(広告媒体)と原画(グラフィック作品)は、表裏一体の関係にありながら、同じ次元には存在しないもの、そして、違う次元にあるこれらを「一つの世界観」で統合するのがアート・ディレクターの腕の見せどころ、という「つくり方のルール」が社会に敷衍しています。ちなみにサヴィニャックは、ちょうど人々の考え方が変わり始め、コミュニケーション・デザインのつくり方が新天地に入る時代(1950年代/1960年代)に、本格的な制作活動をスタートさせました。
よって、本展に出品される作品群は、今日の感覚からすると、「どこまでサヴィニャックがディレクションに関わったのか」「なぜ自身のポスターの再制作を晩年に手がけたのか」といった、さまざまな不思議に満ちています。(続く)

※この連載トピックスの第一回第二回も、ご一読ください。また、サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。

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TOPICS002:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その②――ヴィルモとの二人展 05.04.2018

数あるサヴィニャックのポスターのなかでも、知名度とヴィジュアル・インパクトの高い《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)は、その誕生が一種の「デビュー神話」として語り継がれています。まず、このポスターの「原画」を手がけた当時のサヴィニャックは、さまざまな苦節を味わった1920年代~1930年代を経て、フランスの化粧品メーカー「ロレアル」のグループ企業で、広告代理店の「広告コンソーシアム」にデザイナーとしての地位を得たものの、退職を余儀なくされたばかりでした(在職1943~47年)。そんな状況にあって、年齢が近い同業の友人ベルナール・ヴィルモ(1911~89年)と再会したサヴィニャックは、ヴィルモのほか2名のクリエイターが共同で借りていたアトリエ(パリ1区ダニエレ・カサノヴァ街)に転がり込みます。
そして、フリーランスの立場では、新旧クライアントへの訴求、また、インハウスの職を求めるために、ひたすらポスター原画を描く、という活動を続けながら、ヴィルモの提案により、二人展ヴィルモとサヴィニャック ポスター展」(パリ、メゾン・デ・ボザール。1949年5月20日~6月4日)を開催しました。その会場に並んだのが、のちに《牛乳石鹸モンサヴォン》(ポスター)となった「牛」(原画)であり、これに着目したのは、ロレアルと広告コンソーシアムの創設者にして、数年前にサヴィニャックを馘にしたウージェーヌ・シュレール(1881~1957年)だったのです。こうして「サヴィニャックの“牛”」は、正式にロレアルの、すなわち「モンサヴォン石鹸の“牛”」として世の中にお目見えします。(続く)

※この連載トピックスの第一回も、ご一読ください。また、サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。
※取材協力=練馬区立美術館

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