NEWS019:宇都宮会場の閉幕(完) 18.06.2018

ボンソワール(こんばんは)!皆さん。おかげさまで昨日、宇都宮美術館での「サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法」展が無事終了しました。今日から館内では、次の三重県立美術館への巡回に向けた撤収作業が始まっています。
2018年4月29日(日・祝)~6月17日(日)、計43日を数える開館日を通じて、われらがサヴィニャックは、多くの観覧者の皆さんに向けて、スケッチや原画を生み出す自身の創造的なインスピレーション、1950~1960年代におけるポスター制作のノウハウとともに、これらの本質――「コミュニケーション・デザイン」とは何か、の片鱗をお伝えできた、と天国で喜んでいることでしょう。

1949年5月20日、サヴィニャックは、パリのメゾン・デ・ボザールで、自主制作のポスター原画による二人展「ヴィルモとサヴィニャック ポスター展」のオープニングを迎えましたが、その時、自身の作品が、すぐさま「ヴィジュアル・スキャンダル」として世の中を震撼させ、また、69年後の日本で、これほど熱心に観覧されるとは、想像もしなかったに違いありません。それほど当時の彼は無名で、しかし未知のクライアント、後世の人々にメッセージが共有される、という信念を持って、こつこつと原画を描き溜めていたのです。この二人展は、青天の霹靂に近い成功をサヴィニャックもたらし、早くも二年後には、傑作シリーズの一つにして、サヴィニャックの特質が遺憾なく発揮されている《ビック:走る、走る、ビック・ボールペンが走る》(1951年)が誕生しました。ちなみに本作は、当館でも所蔵しており、子どもたちに向けた学習教材『宇都宮美術館デザイン・キット deli.』[ワークシート&テキスト編]で取り上げています。「Q&A」方式で「デザインを分かりやすく学ぶ」この教材では、《ビック》を題材に、次のような問い掛けをしています――

「走る人やボールペンは、なぜ本物の写真ではないのでしょうか。さし絵でしか伝えることができないものは、何だと思いますか。」

これに対する「解説」(答えではなく、考えてもらうための手掛かり)として、

「一枚のポスターを作るには、もっとも効果があるイメージ(絵柄)、テキスト(文面)、その組み合わせを練らなくてはいけません。これを芸術的な目で監督するのがデザイナーの仕事です。柄や模様、写真、コピーライター(宣伝文を作る人)が考えたキャッチフレーズ(人の注意を引くように考えた短い宣伝文)にふさわしい文字、その並び方を工夫するのです。ボールペンを宣伝するこのポスターでは、イラストレーター(さし絵画家)でもあるサヴィニャックが、ユーモラスなさし絵、手書きのような文字、全体のデザインを手がけました。大きなボールペンとキャッチフレーズ、走る男性がひとつになって、この商品がなめらかに書けることを分かりやすく示しています。「elle court, elle court」という文は、そのまま訳すと「それは走る、それは走る」(注1)ですが、フランス語の「ボール(ペン)」は女性名詞なので(注2)、それ(elle)は「彼女」とも読めます。「彼女」をだきしめようと追いかける人の姿には、さし絵でしか表せないおかしさとあじわいが感じられます。」

を付しました。

「ポスター原画」「ポスター作家」という言い回しは、子どもたちには少し難しいので、ごく平明に「さし絵」「デザイナー」としましたが、肝要なのは、絵の魅力、ポスターがイメージとテキストから成るものであること、そしてポスター作家やグラフィック・デザイナーは、その組み合わせを芸術的に高め、メッセージを伝える仕事である、という点に尽きます。コミュニケーション・デザインの基礎を、子どもたちに、もちろん大人にも知ってもらうために、サヴィニャックの作品は、極めて優れた事例になり得る、として良いでしょう。

《ビック》だけではありません。本展の出品作品は、いずれも「デザインに初めて触れる」「ポスター理解の入門」に打って付けです。ついては、6月30日(土)から三重県立美術館で、ぜひご高覧いただければ幸いです。その後、10月末には兵庫県立美術館来年の1月初めになると広島県立美術館へも、サヴィニャックがやって来ます(注3)。どうぞお楽しみに!(完)

(注1)このキャッチフレーズは、フランスの童謡「il court, il court, le furet」(走る、走るイタチくん)をもじっっています。ちなみに「furet」(動物のイタチ)は男性名詞のため、童謡では、「それ」が「elle(女性名詞を受ける人称代名詞)ではなく「il(男性名詞を受ける人称代名詞)」になっています。
(注2)厳密に記すと、フランス語の「bille」(ボール)は女性名詞ですが、「stylo à bille」「stylo-bille」(どちらもボールペン)は男性名詞。また、フランスの世界的なボールペン・メーカーで、本作のクライアント「Bic」(社名)に由来する「bic」もボールペンを意味し、やはり男性名詞です。
(注3)本展の巡回情報は、こちらをご覧ください。

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fin

TOPICS026:見どころ紹介+ショップ情報――エスプリはディテールに宿る(最終回) 16.06.2018

ボンジュール!皆さん。ゴールデンウィークとともに始まった本展も、梅雨空の下、余すところ一日となりました。作品の日本到着から数えると、およそ半年を経過しています。そして、サヴィニャックが《牛乳石鹸モンサヴォン》の原画(1948年)を手がけてから、実に70年の歳月が流れました。
連載記事「見どころ紹介+ショップ情報」を締め括る今回は、どれほど月日が経っても褪せないサヴィニャック作品の魅力を、ギャラリー・トークや記念講演会、図録でもほとんど触れなかった「印刷技法」に探る、という観点で綴りたいと思います。展覧会をすでにご覧いただいた方は、作品・展示を思い起こしながら、また、明日の最終日が心待ちの皆さんと、これから三重・兵庫・広島の各館で観覧される人々には、ささやかな鑑賞ガイドとしてお読みいただければ幸いです。

19世紀末に始まるヨーロッパの近代ポスターは、サヴィニャックの最盛期(1950~1960年代)、引き続く1970年代の半ばまで、リトグラフによるものが主流でした。「版・インク・紙の関係」で言うと、「平版」に分類されるリトグラフは、色が鮮やかなうえ、大きな版で多くの枚数を刷ることに適しているため、必然的にポスターで多用されたのです。その開発・制作の中心がフランス、とりわけパリは最大の拠点に他なりません。フランスは、造形芸術としての刷り物(版画)の優れた伝統も有するので、商業広告もしくは美術作品、あるいは両方を得意とする一流の美術印刷所が、「リトグラフによる芸術性の高い印刷物」の発展に寄与しています。A. M. カッサンドルやサヴィニャックのポスターは、こうした風土の賜物、として良いでしょう。いみじくも「石版」と訳されるように、リトグラフにおいては、表面をざらざらにした石灰石(版)に油性クレヨンで絵や文字を描き(直描)、アラビア・ゴムを塗って「製版」を行います。ゴムはクレヨンと反応して油を、石の成分にも反応して水を引き寄せる性質を示します。次に、石(版)を水で濡らし、油性インクを載せると、水と油がはじき合い、クレヨンで描かれた部分だけにインクが付き、そのイメージを紙に刷る、これが「印刷」の仕組みです。但し、この方法では、リアルで細かい表現が難しいため、商業広告の場合、直描ではなく、イメージの転写や、金属版を用いたリトグラフが台頭しました。

カッサンドルが活躍した時代(1920~1930年代)は、繊細な調子を生み出すのにエアーブラシが用いられ、近寄って見ると、その巧みな使い方――非常に小さな「点」の集まりによって、陰影・濃淡が作られていることに気付かされます。ところがサヴィニャックは、若い頃からエアーブラシが大の苦手でした。よって、リトグラフならではの「勢いのある筆さばき」「柔らかなクレヨンづかい」を活かす表現に徹し、そのディテールは、大らかな風情を湛えます。

その後、リトグラフの原理を発展させ、大量印刷、写真のような表現が可能な「オフセット印刷」(平版)が考案され、アメリカや日本の場合、戦前から商業広告を席巻します。これは、写真による製版と、版と紙を密着させない印刷を特徴とし、特に刷りの工程は、筒型の金属板に水をつけ、インクを塗って、やはり円筒状のゴムにイメージを転写してから紙に印刷する、という画期的な方法でした。軟らかいゴムは、細かい陰影・濃淡を表すのに適しており、筒が回る輪転機の導入で、印刷物がより早く、より多く刷れるようになったのです。オフセット印刷は、虫めがねで観察すると、独特の「網のような点」が見えます。

こうした状況にあって、歴史的に「リトグラフの美術印刷」を誇ったヨーロッパ、とりわけフランスでは、「写真製版+金属板リトグラフ」という発展的な折衷技法が実践され、結果的に商業広告におけるリトグラフの存続が図られました。本展の出品作品としては、《オリヴェッティ レッテラ22》(1953年)が該当し、いかにもサヴィニャックらしい、言い換えると素朴なリトグラフ表現の人物と、当時の工業製品のカタログから切り取られたような写真製版のタイプライター、そのパッケージが対比を成し、珍しいタイプのポスターと言えます。人物を彩るタイプライターの二色フォント、企業・製品のロゴマークの部分は、刷りこそリトグラフですが、もちろんサヴィニャックの直描ではなく、彼の指示に従って転写され、製版の実際は美術印刷所の画工に帰せられます。

商業リトグラフの黄金期を牽引したカッサンドルは、さまざまな理由が重なって、1968年、67歳でピストル自殺の露と消えました。巨匠を精神的に追い詰めた理由の一つに、フランスにも押し寄せた「リトグラフ広告の凋落」があった、と言われています。緻密で完璧なグラフィックを再現する古典的な技法、デザイナーを納得させる手わざと美術印刷所の粋――「リトグラフのポスター」の時代が間もなく終焉する、と予見し、耐えがたい絶望を感じた、と解釈して良いでしょう。その頃、われらがサヴィニャックも、アート・ディレクター制度、写真を全面に打ち出したポスターの敷衍で、戦々恐々たる思いに囚われるようになった1970年代を目前にしています。

その代わり、affichiste(ポスター作家)としては、製版・印刷技法の如何にかかわらず、イラストレイティヴな作風を貫き、自身もクライアントも再起を賭けた《前へ、シトロエン!》(1981年)で花を咲かせた翌年、トゥルーヴィル=シュル=メールへ転居。さらに20年間、ポスター制作の方法、ひいてはコミュニケーション・デザインがデジタルの時代に突入するのを横目で見ながら、相変わらずのスタイルを守り、穏やかなペースで創造を続け、2002年に94歳の大往生を遂げました。

 

そんなレイモンが生涯大切にした「フランスのエスプリ」「パリにかけたポスターの魔法」を、当館の最終日は展覧会場で、印刷技法を始め、作品のディテールのなかに読み解いていただければ幸甚です。(完)

[ミュージアム・ショップからご挨拶]

ミュージアム・ショップからの最後のお知らせは、本展図録のご紹介となります。

 

●本展図録:ハード・カヴァー/全264ページ:税込2300円
日本で開催されるサヴィニャックの個展としては最大規模、200点以上の出品作品・資料の画像、項目・作品・トピックス解説を散りばめ、3本のテキスト、詳細な年表、文献リスト、巻末データと大変充実した内容です。監修者のティエリー・ドゥヴァンク(パリ市フォルネー図書館学芸員)による「サヴィニャック、パリの魔術師」は日仏対訳、他のテキストは、解説を含めて日英併記(年表のみ日本語)。詳しい内容は、こちらをご覧ください。

宇都宮美術館ミュージアム・ショップでは、サヴィニャック展の公式図録・グッズのほか、ショップ内の取り扱い商品を、
※通信販売+全国配送
いたします。
詳しくは、下記までお問合せください。
直通TEL.028-666-8585
E-MAIL:utm_ms@icloud.com
なお、
※サヴィニャック関係の商品は、最終日6月17日のみの扱いとなりますので、ご注意ください。

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TOPICS025:サヴィニャックの色――黒く塗られたパリ(エピローグ) 15.06.2018

サヴィニャックの作品には、自身が生まれ育った国と街、その文化的風土を象徴する「色」が通底しています。ある時は、「青・白・赤」のトリコロールであり、別の場合、さまざまな色合い・諧調の「ブルー」として出現しました。これらと、広告される対象を示し、クライアントに固有の色の組み合わせは、極めて率直かつ明快です。色使いにおいても、訴求したいモノ・コトを「単にグラフィック・デザイン上のあり触れた構成パーツとして扱わない」ことを実践したので、必然的にカラー・スキームは、ある種のパターン化を呈します。

たとえば、「濃色+純色」「涼し気な各種のブルー+暖色」「イメージを鮮明に縁取る黒の線」「画面に締まりと広がりを与える白の面」が典型で、逆に「モノクローム(・彩度の低い色)一辺倒の構成」は極めて稀でした。もちろん、モノクロームを完全に排除したわけではなく、ポスターという舞台の主役であるモノ・コトに「命を吹き込む」ために、黒バックの作品も手がけています。鮮やかなの毛糸は、背景が黒だからこそ見映えがし、柑橘風味の清涼飲料の美味しさ、ポピーの種が約束する花の美しさも、黒バックがために際立つのです。

そうしたなかで、異彩を放つのが「黒く塗られたパリ」こと《セーヌ左岸高速道路反対》(1972年)に他なりません。

まるで鼠や虫の大群を思わせる黒い自動車の渦に、傾きながら埋没しそうなノートルダム大聖堂。そのファサードと塔屋も、排気ガスで汚されたかのようにどす黒く、パリの「白い貴婦人」は見る影もありません。塔から突出する諸手も血色が悪く、助けを求める様子が如実に窺われます。サヴィニャックは何故、人生の4分の3を過ごした「わが街・花の都」を、トリコロールパリジャン・ブルーではなく、さりとてパターン化された「黒+明るい色」にも則らず、このようなスタイルで黒々と塗ったのでしょうか。このシリーズは、実は同じ絵柄でありながら、異なるキャッチフレーズを付した別作が知られており、
①1972年の原画《NON A VOIE EXPRESS》(高速道路に反対しよう)
②1972年のポスター《NON A L’AUTOROUTE RIVE GAUCHE》(セーヌ左岸高速道路反対)
③1972年のポスター《AUTO-DÉFENSE DE PARIS|GALERIE ROCHAMBEAU》(「パリの街を自動車から守ろう」展、於パリ、ギャルリー・ロシャンボー)
④1973年の復刻ポスター《NON A L’AUTOROUTE RIVE GAUCHE》(セーヌ左岸高速道路反対)
の順に展開されました。
時あたかも東京に首都高速道路が長期建設された(1959年:首都高速道路公団設立→1962年:京橋~芝浦が初開通→1960年代:特に東京オリンピックの前後に工事・開通ラッシュ→今日に至るまで新線建設が続く)のと同じ頃、パリにおいても自動車専用道路「パリ環状高速道路」の計画が進展します(1959年:パリ環状高速道路の建設が始まる→1960年代:工事・開通ラッシュ→1973年:全線完成)。このうち、シテ島にノートルダム大聖堂を擁し、その対岸に相当する大学街・高級住宅地・おしゃれゾーンの「セーヌ左岸」を通る路線については、まさに「左岸系」の文化人たちが中心となって、建設反対運動が起こりました。サヴィニャックも反対派の一員として、運動をアピールする広告の制作に携わり、その原画が①、実際に刷られたポスターは②(本展出品作品)となります。
政治的な作品が少なかったサヴィニャックにしては珍しく、《セーヌ左岸高速道路反対》プロパガンダ(特定の主義・思想を訴える宣伝活動・媒体)だったのです。当然ながら、モティーフとその表現は、他の商業・公共広告とは一線を画し、しかも「愛するパリ」の命運に関わる事柄のため、非常に特異な「黒の使い方」を試みた、として良いでしょう。絵柄こそ分かりやすいですが、それまでの「一発芸」としてのヴィジュアル・スキャンダルの作品群に比較すると、深度のある訴求力に満ちています。

サヴィニャックらしからぬ黒」を主調色とするイメージは、反対派の芸術家によるグループ展(サヴィニャックも参加。1972年11月)のポスター③(当館所蔵。本展には出品されていません)に使われ、運動としては、記念冊子の発行(1973年3月)、国外でのアピール(於アムステルダム、アンスティチュ・フランセ・オランダ。同・10~11月)と続きました。
道路計画の方は、「セーヌ左岸」の路線のみ白紙に戻され、と同時に、さまざまな立場の建築家や都市計画家から幾つもの別プランが提案されます。このことを考慮しつつ、結局のところ、道路は地下を潜らせるかたちで実現となり、地区の景観と歴史的建造物は破壊を免れます。

反対派の人々は、ポスターの復刻④(本展出品作品)を制作することで、言わば大人の決着を付けました。これには、「黒く塗られたパリ」の右下に、

金文字で「本作は、クレアシオン・グラフィーク・フランセーズ社(制作会社)による復刻版で、とりわけサヴィニャックの創造の栄誉を称える。」と記載されています。あわせて、印刷所、使用したオフセット機種、刷り色、寸法、発行日(1973年9月)、紙質、製紙メーカー、製版所、非売品であること、複製禁止の注意書きも明記。

以上を鑑みて、本展の締め括りとなる「パリ」のコーナーは、展示作品の半数をトリコロールの作品、残る半数は、モノクロームの《セーヌ左岸高速道路反対》、並びに色彩もメッセージ性も似た傾向の《ビルに気をつけろ》(1974年)で構成しました。後者は、威圧的な高層ビルの乱立で、歴史的建造物が失われる危惧を訴え、オランダの建築家レム・コールハースが同時代に発表したアンチ・モダンのドローイングを思わせます。

長い創造活動において、政治性や歴史観が希薄だったサヴィニャックですが、1970年代初頭ばかりは少し様相が違いました。1971年には、これらの味付けをした諷刺画による個展「ポスター厳禁」を開催、同名のポートフォリオも刊行し、「黒く塗られた世界・社会」を世に問います。しかしながら、「ユーモアとエスプリ」の華やぎに包まれた印象が余りにも強く、人々もそのことを期待したので、「黒による挑戦」は不評に終わり、以降、ポスター制作のあり方が「作家主義」から「アート・ディレクター制度」へ完全に移行した状況も相まって、サヴィニャックは仕事の激減を強いられました。

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TOPICS024:見どころ紹介+ショップ情報 その⑤ 11.06.2018

ボンジュール!皆さん。当館での本展も、余すところ1週間となりました。月日が経つのは、まことに早いものです。
今回の「見どころ紹介」は、展示を未見の方々、そして今週いっぱいの間に、もう一度、観覧を考えておられるリピーターの皆さんにも、これまで触れていなかった「必見のポイント」をご紹介したいと思います。

展覧会の導入となる「中央ホール」から見て、向かって右側の「会場1」は、入口にサヴィニャックが世界へ羽ばたくきっかけとなった《ヴィルモとサヴィニャック ポスター展》(1949年)のイメージを、作品よりも大きく「ウェルカム・サイン」として使っていますが、我らがレイモンは、花を手にした「右側の赤い人物」です。ヴィルモ(左側の青い人物)との違いは「口ヒゲ」の有る無しで、これにまつわるエピソードは、それまでヒゲを蓄えていなかったサヴィニャックが二人展の際に、世間に朋友のヴィルモと区別してもらうために、ポスターのなかの自身にヒゲを付し、以降、それが彼のトレードマークになった、というもの。
この時、サヴィニャックは41歳でした。本展では、さらに遡って「ヒゲのないレイモン」――それも幼少期から青年期までの姿を、貴重な記録写真に探っています。いずれも小さな写真のため、まとめて「1枚の額」に収めており、その向かい側にある年譜とともに、「パリの下町に生まれた少年が、どんな経緯でフランスを代表するポスター作家になったのか」「最初はどの仕事も長続きしなかったけれども、そんな経験が後年における創作の糧となった」ことを、読み解いていただければ幸いです。

あわせて、すでに取り上げた「A. M. カッサンドルのアシスタント時代」の仕事、その後、フリーランスの立場で手がけた「サヴィニャックらしさ」が窺われる1940年代の作品にも注目。これらには、単純化された動物・人間のイメージ骨太だけれども手描きならではの柔らかい線の表現特定の色による平明なコンポジションなど、《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)に見るサヴィニャックの特質がすべて現れています。「指さすヒト」の原型も、雑誌の表紙に登場しました。

しかし、同じ展示室内の他の作品群は、編年的にではなく、あえて類似のテーマや、本展の組み立ての根幹を成す「モティーフの括り」に沿って並べています。と言うのも、サヴィニャックの場合、モンサヴォンで確立し、世の中にも字義通り受け止められた自称「ヴィジュアル・スキャンダル」(物議を醸す視覚表現*)というスタイルは、そのインパクトが古めかしく感じられるようになっても、晩年に至るまで踏襲されたからです。いかに「ノン・コミッションド」(自主制作*)のポスター原画を出発点とし、原画に対するこだわりを持って制作したにせよ、基本的に商業美術は、多様な広告対象とクライアント、変転する時代、不特定多数の観客がポスターの向こう側に存在するので、理論に裏付けられた普遍性を目指さず、しかもこのような表現を貫いたサヴィニャックのあり方は、かなり特異だったと言えます。
(*)「ヴィジュアル・スキャンダル」「ノン・コミッションド」については、「サヴィニャックをめぐる言説」を参照

再び中央ホールに戻り、今度は向かって左手の「会場2」に目を向けてみましょう。展示室の入口には、電器メーカー「フリジェコ」のシリーズから抽出した「指さすヒト」の人形、ウェルカム・サインは《イル・ジョルノ紙》(1956年)を選びましたが、どちらも独自なスタイルの開花、並びに様式化を示唆しています。

こちらの展示室に関しては、随所で試みた「原画とポスターの並置」に留意してください。フランスの近代ポスターにおける「アイディア・スケッチがポスターになるまでの工程」は、「サヴィニャックとともに旅を その③」で記したため、ここでは詳細を割愛しますが、特にサヴィニャックについて興味深いのは、一口に「原画」と言っても、目的によって、さまざまなサイズと完成度のものがあり、そのすべてが解明されていない点でしょう。たとえば、スケッチに近い原画、いわゆる(作家の肉筆とされる)ポスター原画、製版の一段階前と思しい(印刷の現場に最も近い)ポスター原画は、「サヴィニャック作品」として刷られるポスターと、必ずしもディテールが合致しません。また、入念な検討・推敲を通じて、完成に至る段階を示すものとは言い難い印象です。

事実、「ウット毛糸」のコーナーでは、右端の小ぶりな原画(1949年頃)と、ドアノーによる左端の写真(1950年)に見る大きな原画は、かなり違う点に誰もが気付かされます。

右から二番目のポスター(1949/1951年)と、それに基づいて42年後に作家自身が再制作した不思議なデザイン画(1993年)も同様。結論から言えば、サヴィニャックは、決して「緻密なアプローチを追求する理詰めのグラフィック・デザイナー」「鋭い感覚で采配を振るやり手のアート・ディレクター」ではなく、どこまでも「爛漫なヴィジュアル・スキャンダルに透徹したポスター画家」でした。よって、こうした「原画のばらつき・ポスターとの不一致」が生じ、広告の発表後、「プロジェクトの起承転結を系統的に保存・自己分析したわけでもなかった」と考えられます。

別のコーナーには、まさにサヴィニャックならではの「放逸な典型」を表象する「指さすヒト」の原画とポスターがずらりと並びます。ちなみに、これらの指が揃って「右を差す」理由は、「サヴィニャックの色 その③ 」で解説した「文字列が左から右へと記される欧文の性質」と関係しており、事例としては少ない「左を差す」タイプ――たとえば《ペルネル(毛糸):これさえあればバッチリ》(1965年)も、「毛糸玉が手編みの衣類になった」という筋書きからすると、やはり「左(毛糸)から右(全身が手編みの人間)へと視点が動く」構図に他なりません。

[本展グッズのご紹介]
ミュージアム・ショップから今回は、グッズ2種、及び本展図録を改めて紹介いたします。

●A4版ダブルファイル:税込680円
「半額料金パス」を意味する「半身の男女」のアイディアが秀逸な作品に基づく商品で、表紙は「ムッシュ」、中面右側に「マダム」を配し、左側には元になった《フランス国有鉄道》ポスターの画像を入れました。ベースとなる色が濃いブルーなので、クリアファイルでありながら中の書類が透けず、2つのポケットは容量もたっぷり。

●フランス製ポストカード(各種):税別150円
公式グッズのポストカードは、どれも「出品作品」によりますが、それだけでは飽き足らないサヴィニャック・ファンの方々もおられることでしょう。ついては、「他のサヴィニャック作品」をグッズとして購入できるよう、フランス製のポストカードを用意しました。幾つかの種類があるなかで、ここでは晩年の《ショーモン国際ポスター展》《トゥルーヴィル笑いの大衆芸能祭》を紹介します。

●本展図録:ハード・カヴァー/全264ページ:2300円
200点以上の出品作品・資料の画像、項目・作品・トピックス解説を散りばめ、3本のテキスト、詳細な年表、文献リスト、巻末データと充実した内容です。初会場の練馬区立美術館では、最終日に売り切れとなりましたので、ぜひお早めにお求めください。幸いにも当館では、下記の通り「通信販売+全国配送」を承っております。

宇都宮美術館ミュージアム・ショップでは、サヴィニャック展の公式図録・グッズのほか、ショップ内の取り扱い商品を、
※通信販売+全国配送
いたします。
詳しくは、下記までお問合せください。
直通TEL.028-666-8585
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※サヴィニャック関係の商品は、展覧会期中(最終日6月17日)のみの扱いとなりますので、ご注意ください。

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TOPICS023:サヴィニャックの色 その③ 08.06.2018

サヴィニャックが意識的に多用した「」が、祖国フランスを体現する「トリコロール(青・白・赤)だったことは、この連載の第二回で記した通りです。あわせて、パリを示唆する明るいブルーをさり気なく添えた点も、この作家ならではの色使い、として良いでしょう。

さらに踏み込んで、トリコロールの「配列」に注目すると、絵柄との関係で、興味深い事例に行き当たります。今回、原画とポスターがどちらも出品されている《フランス、食卓の悦び》は、合板にグワッシュで描かれた前者(1966年頃)と、

完成形の後者(1966年)のイメージが完全に左右反転しており、もちろんトリコロールも同様です。
一杯の豊穣なワインを口にした「ガリアの雄鶏」(フランスの象徴)が、鶏冠から胸元まで赤く染まり、すこぶるご機嫌な様子をメイン・ヴィジュアルとする本作は、サヴィニャックが師と仰いだA. M. カッサンドルの連作ポスター《デュボ・デュボン・デュボネ(キナ入り食前酒)》(1932年)を彷彿とさせ、左にワイングラス、雄鶏(カッサンドル作品では人物)が右側、という構図も共通しています。これは、「真似をした」のかも知れない、「本歌取り」「オマージュ」ではないか、などの深読みをする以前に、フランス語その他の欧文は、文字が左から右へと記される性質と関わっています。

すなわち、「」と「文字情報」を組み合わせるポスターにおいて、「ワインを飲んだらご機嫌になった」状況を、欧文の文字列との関係を鑑みつつ、原因と結果、時系列に沿って説明的に表す場合、必然的に「ワイングラスを左に置く」のが収まりの良い構図となります。

とするならば、左を向いた雄鶏の色彩は、否が応でも「逆トリコロール(赤・白・青)となります。細かな点として、この向き・配色の雄鶏と、「フランス、食卓の悦び」の文字情報の組み合わせからすると、サインの位置も左上が落としどころになるのです。

ところがポスターは、右を向き、典型的なトリコロール配色の雄鶏のイメージで刷られました。何故でしょうか。それは、本作が「フランスの食(農林水産物・食品・飲料)を、国として世界的にプロモーションするもの」だからです。原画はフランス語版で、ポスターは英語版ですが、本展には出品されていないフランス語版のポスターも「イメージの左右反転=国旗と同じトリコロール」が見られます。しかし、原画とくらべると、ポスターの構図は、少しばかりぎこちなく、動きに欠ける印象となりました。

とは言うものの、今でこそ3色の並びが定められ、その配列に「お国柄」「フランスの文化」を強く感じますが、1794年よりも前は、実のところが逆転した旗も存在しました。

他のサヴィニャック作品で、「逆トリコロール」が原画に使われ、なおかつポスターも反転無しで刷られたのが、前々回に紹介した《文化遺産年》です。

この事例では、「PATRIMOINE」(遺産)という単語のすぐ下に、それを象徴する雄鶏の尾が描かれ、羽根の一つひとつが、構成遺産の音楽、建築、美術、文学、映画の図式化――竪琴、T定規、絵筆、ペン、フィルムになっています。これらが「フランスの文化」であることを強調するには、やはり「」が望ましく、よってイメージが左右反転されなかったに違いありません。フランスの首都であるとともに、自身が生まれ育ち、人生の4分の3を過ごした「パリ」がテーマの作品群においても、サヴィニャックは、この街に対する愛を込めてトリコロールを駆使しました。代表作の一つ《1951年、パリ誕生2000年記念》(1951年)は元より、フランス共和国の建国記念日こと「パリ祭」(7月14日)
パリの近世庭園を代表し、観光名所として知られるテュイルリー公園(整備1664年。ルイ14世時代)に関するものは、すべて「青白・赤」のコンポジションを基本とし、加えてパリを意味する「青赤」と、その風物(男女・恋人たち・エッフェル塔・花・小鳥のつがいなど)を密接に結びつけています。そして、トリコロール(及びパリ市旗の2色)の配列に、逆転現象はありません

一種の様式美とも言える「フランス/パリに捧げるトリコロール・シリーズ」の派生形として、本サイトの「サヴィニャックとデザイン史の本棚」で取り上げた『巴里案内』(マダム・マサコ著)に掲載の《雑誌『ヴォーグ』のための「1951年、パリ誕生2000年記念」イラストレーション》は、モノクロでありながら、原画がどのような配色だったのか、容易に想像することができる「鮮やかな色合いの珠玉の小品」と言えます。(続く)

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TOPICS022:「サヴィニャックをめぐる言説」の設置 05.06.2018 ※6月14日 最終更新

サヴィニャックをめぐる言説

美術であれデザインであれ、また、造形に限らず芸術作品に対する理解を深める手立ての一つとして、つくり手と第三者、同時代や後世の人々の「ことば」を知るのは有効です。もちろん、それが非常に主観的であるとか、謎めいている、あるいは専門的な記述の場合、少し難易度が高いかも知れません。それでもなお、たとえば「私は、モンサヴォン石鹸の牝牛のおっぱいから生まれた」というサヴィニャック自身の一言は、とても含蓄があり、作品と、その創造的な世界に直結する扉を開いてくれます。
このことを鑑みて、「サヴィニャックとデザイン史の本棚」で取り上げた書誌から、サヴィニャックが何を発言し、他の人々が彼についてどのようにコメントしたのかを紹介するページを設けました。内容は、随時更新いたしますので、どうぞお楽しみに。(6月14日 最終更新

●レイモン・サヴィニャック
Raymond Savignac:1907~2002年)

「私が自分のポスターに、ギャグや、冗談や、グラフィックな警句を使うのは、まず第一に私がそういうのが好きだからで、第二には、人々が生活に惜んでいて、それを愉しいものにするのは私たちデザイナーの義務だと思うからである。街を歩いている人たちは、まるで馬や馬車のように眼かくしをしているみたいだし、あるいは、自分だけの望みや怖れを覗きこんでいる。なにかセンセーショナルなものだけが、彼を自分の殻からひっぱりだして、彼をとりまく世界に一役買う気にさせるのである。ポスターというものは、一種の視覚的な噂の種(ヴィジュアル・スキャンダル)なのである。ポスターというものは、しげしげと観察されるものではなくて、見るものなのである。視覚の法則がそのフィルムをきめる。瞬間的に見る人をつかまえる力をもっていなければならない。通行人が一秒の何分の一かで、そのポスターのいっていることを、しっかりと把まえられるようなものでなければならない。(以下略)
GRAPHIS, Vol.19 No.109, Amstutz & Herdeg Graphis Press, Zurich, 1963, pp.377-378(和訳は東光堂書店による)
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(前略)私は通常、二つの異なるアイディアを出発点とし、これらの融合を試みる。《牛乳石鹸モンサヴォン》の場合、それはモンサヴォンの固形石鹸と、牛乳を意味する牝牛だった。石鹸を牝牛に載せても、その逆でも良く、いずれにせよ典型的、あるいは常套句のような一体的イメージとなる。コロンブスの卵の逸話に少し似たやり方とも言えるだろう。ちなみにコロンブスは、卵の尻を潰すところに閃きがあった。これに対して私は、生活を彩り、ポスターに論理性を与える発想で、非常に掛け離れた二つのイメージをどのように結び付けるか、その発見こそを制作の勘所としている。こうして、牝牛のおっぱいから流れ出る乳がそのまま石鹸と化すイメージが生み出され、自身のアイディアを第三者へ伝達する鍵となった。但し、イメージの融合にあたって、どこまでが意識的に構築され、どこまでが閃きによるのかは、自分でも定かではない。ともあれ私は、平凡なイメージを衝撃的なものに変え、荒唐無稽なものには道理をもたらす。私の方法論の重要なポイントとして、広告される製品に命を吹き込むことが挙げられる。要するに、個々の製品は、単にグラフィック・デザイン上のあり触れた構成パーツであってはならない、と捉えている。ちなみに多くのポスターでは、この傾向が顕著に見られ、製品のイメージがないがしろにされがちである。逆に、私のポスターのなかでは、製品が役者となり、台詞を話すような存在として扱われる。(以下略)
Walter Heinz Allner, Posters, Reinhold Publishing, New York, 1951, pp.98-99
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(注1)本書に掲載されたサヴィニャックのテキストは、実は『グラフィス』誌に見るテキストのロング・ヴァージョンで、後者においては、上記の箇所や具体的な事例の解説などがカットされています。
(注2)サヴィニャックが言う「衝撃的だが筋の通った融合イメージ=命が吹き込まれた広告対象のイメージ」は、ある種の「一発芸」ですが、アイディアと類似・同一のイメージが別の作品で使い回されています

たとえば、《牛乳石鹸モンサヴォン》で話題を呼んだ「牝牛のおっぱい・乳+製品」は、少し構図を変えて《ヨープレイト》となり、ボツ案で終わった《『フランス・ソワール』紙》のための「新聞(媒体)+読者(社会)」は、そっくりそのまま《『ヘット・ラーツテ・ニウス』紙》で採用されました。この辺に、サヴィニャックの「ゆるさ・したたかさをあわせ持つ仕事ぶり」「言説と表現のずれ」が感じられて興味深いところです。

●アラン・ヴェイユ
Alain Weill:1946年生まれ、ポスター史家)

「奇抜な発想と常識を覆す表現で人の意表を突き、強烈な印象を与えながらも明快にメッセージを伝える。そして独特の筆致で愛らしいキャラクターを描き出し、適度の簡略化された表現が後味を柔らかくスッキリとしたものにしている――それがレイモン・サヴィニャックの一貫した創作姿勢である。(以下略)
『アイデア』 第45巻・第6号(通巻265号), 誠文堂新光社, 1997年, p.7
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●河野鷹思
(こうのたかし:1906~99年、グラフィック・デザイナー)

(A. M. カッサンドル、ポール・ランド、アブラム・ゲームズらによって)異状なまで純化された畫面處理が、次から次へと大衆の心を把握して行った力は大きなものであろうけれど、然し何時の間にかこれ等の作品は美しい額椽におさめられて仕舞った。そして眞空狀態のガラス箱の中で剥製化されてポーズを作っていながらも、これ等の作品が何を語ろうとしているかという事には半ば無關心な大衆の前に美しく、默りこんで居たようである。この時、大衆の肩を、ポンと一つ、レイモン・サヴィニャックがたたいたのである。(中略)彼のこの單純さというものは全く安易なものに見えるかも知れないが、實に長い沈思を通して、非本質的なものを次々に除去した結果に外ならないという事である。(中略)サヴィニャックは私達の生活のための商品に良識に滿ちた、剛健な生命を通わせる。サヴィニャックに輸血される商品は、簡單に大衆と握手して仕舞う。(以下略)
商業デザイン全集編集委員会 編 『商業デザイン全集』 第五巻「作家篇」, ダヴィッド社, 1952年, p.175
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●勝見 勝
(かつみまさる:1909~83年、デザイン評論家)(前略)non-commissioned poster(注文によらずかく形式)の展覧会を開いて、作家がポスターデザインに自由なアイディアを盛りこむ可能性を開き一躍一流の列に伍した。彼のユーモラスなアイディアと、直截な表現は、民族をこえて万人に訴える力を持っている。(以下略)
勝見 勝 編 『世界の商業デザイナー80』 ダヴィッド社, 1958年, p.12
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●亀倉雄策
(かめくらゆうさく:1915~97年、グラフィック・デザイナー)

「初めてサヴィニャックのポスターを見た時の衝撃は、今なお鮮明である。(中略)それは、(フランスの美術雑誌を踏まえて)サヴィニャック、ヴィルモ、ジャック・ナタンなどによる「ノン・コミッションド・ポスター展」の開催紹介記事だった。(中略)このノン・コミッションド展は、デザイナーのデモンストレーションとしては予想外の成功をおさめた。とにかくサヴィニャックたちの試みはアメリカにも日本にも影響を与えたからだ。(中略)(カッサンドルとの比較について)見る人に心理的な衝撃を与えるという共通した思想を持ちながら、この師弟の手法は正反対だ。(中略)第一、サヴィニャックは明るい。ユーモラスだ。洒落ている。そして見る人をギョッとさせながら笑わせてしまう。(中略)サヴィニャックの刺激は、カッサンドルの斧で窓をたたき割る(注)のではなく、アコーディオンを弾きながら曲芸師がひっくり返ったり踊ったりしながら部屋に入ってくるようなものだと思う。(中略)フランスのポスターは、ロートレックによって伝統を作り、カッサンドルによって精神を作った。そしてサヴィニャックによって文化を作った、と私は思っている。」
(注)カッサンドル曰く「絵画は、人を訪問する時にまず入口でベルを押して、ドアを静かに開けてから家に入る。ポスターは、突然窓を斧でぶち破り、土足で飛び込む。しかも伝達目的は簡単に、電報のようでなければならない」
西武美術館 編 『フランスのユーモアとエスプリ サヴィニャック ポスター展』(展覧会図録) 西武美術館, 1989年, pp.8-9
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亀倉雄策 『亀倉雄策の直言飛行』 六耀社, 2012年(新装版), pp.41-46
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●中原佑介
(なかはらゆうすけ:1931~2011年、美術評論家)

「グラフィック・デザイナー――そのなかでも、とりわけポスター・デザイナーの仕事は、そこに、美術におけるマスコミュニケィションのひとつのありかたがみられるという以上に、芸術の方法における「サギ」という要素についてかんがえさせる点で、わたしの興味をひきつける。(中略)(ヴィルモとの二人展を踏まえて)この、はじめてのノン・コミッションド・ポスター展を指して、サヴィニャックが、コマーシャリズムにたいするレジスタンスの意志を表明したのだというひともあるが、わたしは、そういうおおげさないいかたでなく、かれが、スポンサーにたいして、自己の個性を逆に利用しようとしたものだとおもう。(中略)(ロベール・ゲランのコメントを踏まえて)熟考といい、利益といい、工夫といい、あるいは、非常といい、気まぐれといい、さらには、独創性といい、無遠慮といい、サヴィニャックは、サギ的要素を、完全にそなえているようにおもわれてくる。そして、こうしたかれの、ポスター・デザインのうえでの具体的な手口が、いわゆる「ヴィジュアル・スキャンダル」というやつなのだろう。(中略)サヴィニャックの仕事は、あまりに個性がですぎているため、ポスター・デザイナーの仕事としては機能性が減少しているという批判もある。(中略)デザイナーの順応性という観点からみるならサヴィニャックの方法は、独自性がつよすぎるのかもしれない。したがって、いったん、スポンサーが嫌悪をいだくや否や、かれが失墜してゆくのは、あきらかだろう。(中略)ポスター・デザインに、芸術におけるサギという要素をみとめる点では、わたしは自説を変更しないが、ポスター・デザイナーは、二流、三流のサギ師と同様、いつかは、没落してしまいかねないものではないかという気がする。(以下略)
『みづゑ』 637号, 美術出版社, 1958年, pp.6-8, 13, 16
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●福田繁雄
(ふくだしげお:1932~2009年、グラフィック・デザイナー)

「人間の心に訴える面白さやおかしさという舶来のユーモア(HUMOR)の語彙は、この世紀末の現実の世相の器には、優しくまろやか過ぎて納まりそうにない。それは、現実の日常生活を取り巻く社会、地球上のあちこちで昼夜をおかず繰り広げられ続けている愚事愚行が、面白いはずの漫画以上に面白く、馬鹿馬鹿しく、不条理でおかしいからだと思う。(中略)明るく笑える楽しいポスターの系譜は、フランスのレイモン・サヴィニャックに始まって、レイモン・サヴィニャックに終わるのではないかといわれるのが現況である。」
サントリーミュージアム[天保山]編 『国際 “笑” ポスターSHOW』(展覧会図録) サントリーミュージアム[天保山], 1999年, p.6
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●西脇友一
(にしわきゆういち:1932~2016年、グラフィック・デザイナー)

「わたし(注)は、今証言されたカッサンドル氏より6歳ほど年下ですが、氏が20歳台後半から40歳くらいまでの比較的若い時期に活躍されたのに比べて、わたしが世に出たのは50歳を過ぎてからですから、実際の活動期には30年余りの開きがあることになります。(中略)カッサンドル氏をはじめ、同世代のシャルル・ルポやポール・コラン、レオネット・カッピエロ、ジャン・カルリューといった人びとの作品は、そのダイナミズムとモダーンな造形や色彩においてまさに一時代を画したものであり、わたしとしても敬意を表するにやぶさかではありません。しかしこれらは、その完璧なまでの造形性と美意識のために、いつかは美術館の壁面を飾るだけの鑑賞用ポスターになってしまうだろう、というのがわたしの考えでした。(中略)(以下略)笑いによってポスターの権威主義や事大主義を否定することによって生まれたのが、わたしの『ヴィジュアル・スキャンダル』であり、カッサンドル氏のそれとの最も大きな相違点だといえます。わたしは、美意識や学問の有無、性別、年齢、国籍などという区別を乗り越えた人間の魂そのものに、フランス人特有のエスプリを活かした“視覚的な企て”によって、スキャンダラスに迫ることを試みました。(中略)ポスターの可能性といえば、それまでのポスター制作上の常識にはなかった、Non-commissioned Poster(注文によって描くのではなく、作家の主体的創作によってポスターを作り、それをスポンサーが買い取って利用する方式)も、わたしが最初に試みたものであることを付け加えておきます。最後は柄にもない手柄話になってしまいましたが、以上でわたしの『証言』を終わらせていただきます。」
京都国立近代美術館 編 『フランスのポスター美術』 講談社, 1979年, pp.196-197
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(注)あたかもサヴィニャックにインタヴューを行い、それを書き起こしたようなスタイルの文章ですが、文献・資料に基づき、「時代を証言するポスターと、これに関わった人物の証言」という趣向で、西脇友一が独自に執筆。底本となるデザイン書の記述や、雑誌に掲載されたサヴィニャックの言葉を踏まえつつ、筆者の視点や考えが盛り込まれているところがポイントです。「20世紀後半の証言者」という設定のサヴィニャック以外では、西脇自身(1950年代)、あるビラ貼り職人A氏(18世紀末~19世紀初頭)、ジュール・シェレ氏(19世紀後半)、アリスティド・ブリュアン氏(19世紀末)、カッサンドル氏(20世紀前半)、あるマヌカン嬢(20世紀中頃)が登場し、このうち「ビラ貼り職人」と「(ポスターに描かれた)マヌカン嬢」は、もちろん架空の人物に他なりません。

●矢萩喜從郎
(やはぎきじゅうろう:1952年生まれ、グラフィック・デザイナー/建築家)

(前略)(《牛乳石鹸モンサヴォン》によるデビューを踏まえて)それは、1948/50年、悲惨な第二次世界大戦が終結してからわずか数年しか経ていない時期のことである。苦しい時代を乗り越えた人の心の飢えを癒す為にも笑いが必須であり、その様な時代に、健康的であっけらかんとしたユーモアとエスプリを包含した、サヴィニャックのポスターが挿入されたと言っていい。サヴィニャックがポスターに可能性を託したのは、フランス文化への上質なコミットメントだけではなく、人の気持ちを柔軟にしたり、膨らみのある感情をもたらすことだった。(中略)ルーマニア生まれのアメリカ人、ソール・スタインバーグは、アルファベットや記号等から発せられる様々な言葉を画面に登場させ、作品を見る人に、言葉の意味を考える思索の場を提供した。(中略)一方、サヴィニャックのポスター全てに通じることは、言葉そのものを題材として登場させるのではなく、内容をよく噛み砕いて、インパクトを与える視覚的操作を含みつつ、ユーモアとエスプリを引き上げた世界だった。(以下略)
矢萩喜從郎 編 『レイモン・サヴィニャック』(『世界のグラフィックデザイン』 97巻) ギンザ・グラフィック・ギャラリー, 2011年, pp.4-5
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●小柳 帝
(こやなぎみかど:1963年生まれ、編集者/翻訳家)

(前略)(カッサンドルに私淑したこと、ヴィルモとの二人展を経たデビューを踏まえて)サヴィニャックは、それから1950~60年代を通して、フランスの広告界の第一線で活躍してきたが、1970年代にはその輝きに翳りが見えはじめた。折しも広告は、イラストレーションから、写真とタイポグラフィ主体のものに切り替わっていた頃だった。どうして古巣のパリを離れ、トゥルヴィルにやって来たのかと訊くと「もうパリは私を必要としてないことに気付いてね」と笑いながら答えるサヴィニャックの横顔は、どこか寂し気だった。「でも、ここはとてもいい町だよ。きっと君もとても気に入ると思う。」そう答えながら、サヴィニャックはフッと窓の外に視線を移した。自分を仮託するように、好んでカモメを描いたのがわかるような気がした。(以下略)
レイモン・サヴィニャック著, 小柳 帝 日本語版監修 『サヴィニャック ポスター A-Z』 アノニマ・スタジオ, 2007年, pp.106-107
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TOPICS021:サヴィニャックの色 その② 03.06.2018

この連載の第一回で分析したように、サヴィニャック作品を特徴づける「」は、コバルト系やシアン系の「青」に他なりません。では、青との「組み合わせ」で、しばしば登場する他の色は何でしょうか――
ちなみに個々の商品、ブランド、企業などは、アイデンティティとなる色(シンボル・カラー)が規定されている場合が多いので、広告のカラー・スキームも、それを踏まえたものとなります。とするならば、それぞれの画面における色彩構成の基本を成し、かつ訴求力が高い色の意味や象徴性さえ分かると、文字が読めずとも、一つひとつのポスターの内容・趣旨に対する理解が導かれるのは言わずもがなです。もちろん、観る者の知識が問われるとは言え、逆説的には、ことさら目立つ色、それらの組み合わせ、露出する頻度が高いと、「この色は何を表すのだろうか」という興味が無意識に刺激され、色の印象が絵柄とともに強烈にすり込まれますたとえば、《「皆やるべきことを一緒にやろう」原画》(1966年頃)では、背景の空色、地面の明るい灰色の上に配されたスポーツ・カーのがひときわ目立っています。フランス人ならば、この三色と、クルマが元気な雄鶏を模したかたちであること、そして「TOUS DANS LA COURSE…」(レースは全員参加だ…)の文字を見て、「国威発揚キャンペーンの一種」だと分かるに違いありません。

  

何故ならば、「青(左)白(中)赤(右)」という決まった並びのトリコロール(三色)は、フランス国旗そのものであり、また、雄鶏はフランスの象徴(ガリアの雄鶏)だからです。もっとも、これはサヴィニャックの肉筆による「原画」のため、すべての文字が示されておらず、「国際的な自動車レースでフランス・チームの勝利を祈願するものでは」と感じる人(特に年少者や外国人)もいるでしょう。但し、展覧会を別にすると、一般の人々に原画が晒される機会は少ないので、やはり完成形の「ポスター」(1968年)で検証する必要があります。こちらは内容・趣旨が一目瞭然で、勘所となる文言の意味は、次の通り――

[キャッチフレーズ]
上1行目:TOUS DANS LA COURSE… (レースは全員参加だ…)
中下1行目:POUR GAGNER LA COMPÉTITION INTERNATIONALE (世界市場で勝つために。)
同2行目:VENDRE EST AUSSI IMPORTANT QUE PRODUIRE (販売は生産と同じく重要です。)
[発行者(クライアント)]
画面左下:INSTITUT POUR LA PROMOTION ÉCONOMIQUE PAR L’ACTION COMMERCIALE (フランス貿易経済振興会)
「なるほど、それで“皆やるべきことを一緒にやろう”のタイトルなのか。だから、“トリコロールの元気な雄鶏”がモティーフなのか」と膝を打っていただければ幸いです。さらに細かく観察すると、フランス貿易経済振興会(IPÉAC)のロゴマークが、兜を被り、槍を手にした「雄鶏の騎士」であることに気づかされます。

本作以外の事例でも、サヴィニャックは「」を基調色とするポスターを多数手がけており、その理由として、フランスの企業・組織、商品やブランドが積極的にトリコロールを採用していること、あわせて作家自身がフランス人で、広告の対象・発注主体が国外であっても「フランスらしさ」を大切にする表現に長けたことが挙げられます。純粋に「造形芸術」「コミュニケーション・デザイン」の理論に照らしても、は「絵の具の三原色」(もう一色は)なので、これにモノクロームのを加えた組み合わせは、「色彩構成の基本」「視認性の高さ」の観点から多用されてきました。

 

フランスの国旗としてトリコロールが制定されたのは、フランス革命期の1794年に遡ります。三色の意味合いは、フランスの憲法で定められる国のモットー「自由・平等・友愛」と結び付けられて(青=自由白=平等赤=友愛)語られがちですが、そもそも首都パリの標章も歴史的にでした。興味深いことに、三つの指定色は、時代のなかで少しずつ変わり、現在のものは、1976年に定められた「明るいトリコロール」(ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領による)。これとは別に、フランス国防省色彩規定に基づく「深みがあるトリコロール」も併用されています。

ところで、《「皆やるべきことを一緒にやろう」原画》(1966年頃)の背景は、単にトリコロールを際立たせるために、あるいは地面に対する青空を表すべく、明度の高いブルー(空色)が塗られたのではない、と考えられます。と言うのも、フランス(国・その旗)とは別に、パリ(街・モード)を表象する色が存在し、それは「きれいなライト・ブルー」だからです。この系統の色味こそは、前回も触れた「サヴィニャックの青」に合致し、と同時に、彼が生まれ育ち、活躍の拠点とした「パリの感覚」をポスターに加味しています。

参考までに、こうしたフランスの青パリの青に対する「」に目を向けると、日仏の色合いには大きな違いが見られます。在日フランス大使館アンスティチュ・フランセ日本の後援を受けた本展は、「日仏交流160周年」の文化事業の一つとして、展覧会の広報に専用ロゴマークを掲げていますが、その「」は、まさにフランスの赤で、日本国旗の「」とは別種のものです。(続く)

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TOPICS020:見どころ紹介+ショップ情報 その④ 31.05.2018

ボンジュール!皆さん。梅雨入りも間近い5月末日となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
前回の「見どころ紹介」では、「壁に多数のポスターが並ぶ空間」に変化をもたらす「展示ケース」に目を向けたので、引き続きその中身を取り上げたいと思います。

まず、4期にわたって「めくり公開」を進めている2冊のスケッチブックのうち、大きい方(左側)は、最晩年に手がけた肉筆の仕事を確認できる点で、きわめて貴重です。但し、テーマが多岐に及び、必ずしも最初のページから順を追って使ったわけではなく、別の紙に描いたスケッチの貼り込みや、裏表紙側から逆さまに使われた形跡、途中に空白のページも見られるため、年代には幅があります。そのなかで、3期目の現在展示中《「ガリアの雄鶏大統領と一緒のジャン・ピエール・シュヴェーヌマン」スケッチ》(より正確に記すと「ジャン=ピエール・シュヴェーヌマンとフランスの象徴・ガリアの雄鶏」スケッチ)、

並びに第4期(6月7日~6月17日)に公開予定の《「マリアンヌ大統領と一緒のジャン・ピエール・シュヴェーヌマン」スケッチ》「ジャン=ピエール・シュヴェーヌマンとフランスの象徴・女神マリアンヌ」スケッチ)は、2002年4月頃の制作と推測されます。この年、フランスでは大統領選挙が行われ、第一回投票(4月21日)の候補者の一人がシュヴェーヌマンでした。サヴィニャックの逝去が同年の10月29日だったことを鑑みると、まことに感慨深い作品と言えるでしょう。

同じ展示室内の別コーナーにおいては、「パリの街角のポスター掲出」を思わせるランダム展示を試み、壁の手前のケースは、繁華街のショー・ウィンドーに見立てました。すなわち、サヴィニャック自身が指摘した「ポスターは賑やかな市井で見るもの」という境地に少しでも近づけるべく、作品の高さや間隔に規則性を持たせず、見づらくならない程度に自由な配置としています。

また、概してショー・ウィンドーよりも大きかったフランスのポスターの華やぎと、これらから派生した小さなノヴェルティの持つ意味、その魅力を、「高い壁と小ぶりのケースの関係」で見せる工夫を図りました。なお、今日のコミュニケーション・デザインの場合、特定の商品、ブランド、企業などのグラフィックは、ロゴマーク、書体、カラー・スキーム、キャラクターその他が、厳密なルールによってトータルに管理されていますが、サヴィニャックの時代、とりわけ彼の仕事では、非常にゆるやかです。従って、ノヴェルティのデザインに、どこまでサヴィニャックが関与したのかは定かではなく、事例によっては、明らかに「après Savignac」(サヴィニャックに基づく)と記されているものもあれば、別の手で「デザイン展開された」と感じられる作品も存在するのです。


とは言え、ボールペンの「BICに関しては、サヴィニャックの原画、ポスター、そのヴァリエーション、ポスターから誕生したキャラクターには、トータル・デザインやCI(コーポレイト・アイデンティティ)の原初的なあり方が窺われます。

ノヴェルティこそ「après Savignac」であることがはっきりとしていますが、作家とクライアントによる統一的なイメージ戦略の成功を称えて、このコーナーでは、それが一目瞭然となる展示を実現しました。

そして、サヴィニャックの思想・実務・人柄――その生きた姿と創造を知っていただくために、二つの展示室をつなぐ「中央ホール」では、ドキュメンタリー映画「街路の人 サヴィニャック」(Savignac, homme de la rueを上映中。冒頭で紹介したスケッチブックと同様、彼の人生では最晩年の1986年(78歳)に封切りとなった見応えのあるフィルムで、壁に掲出したポスター、ケースに入れた作品・資料、これらに付した解説とキャプションとは違う観点で、皆さんに多くを語りかけてくれます。(監督=ダニエル・コスト=ランバール、助監督・インタヴュー=ダニエル・コスマルスキ、制作=アンナ・プロダクションズ、上映時間25分)
※展示室内で配布している出品作品リストは、こちらからダウンロードできます。

[本展グッズのご紹介]
ミュージアム・ショップから今回は、「飲食」にまつわるサヴィニャック・グッズ2点を紹介いたします。

●森永ミルクチョコレート(ポストカード付き):税込1,100円
文字通り《森永ミルクチョコレート》のポスター図案に包まれた小粒の板チョコが9枚、これにポストカードを添えたセット商品で、チョコは森永製菓謹製のホンモノの味。ちなみに同名のチョコは、1918年(大正7)に初めて発売、今日に至るロングライフ製品として知られています。

ガラス製ジョッキ:税込1,296円
《ブリュナは温まるビール》のポスター図案に基づくジョッキで、このビール(現「AMAブリュナ」)のようなエール系はもちろん、他のタイプのビール、ソフトドリンクにも打って付け。季節的にも、ぜひ手にしていただきたい商品です。(注)イメージ画像の「飲み物」「星空」は付きませんので、ご了承ください(笑)。

宇都宮美術館ミュージアム・ショップでは、サヴィニャック展の公式図録・グッズのほか、ショップ内の取り扱い商品を、
※通信販売+全国配送
いたします。
詳しくは、下記までお問合せください。
直通TEL.028-666-8585
E-MAIL:utm_ms@icloud.com

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NEWS012:記念講演会の詳細 23.05.2018(27.05.2018追記あり)

ボンジュール!皆さん。当館での展覧会期も折り返し地点に差し掛かり、いよいよ来る5月27日(日)には記念講演会「ポスター作家サヴィニャック:ユーモアの足し算・引き算」が開催されます。ついては、その詳細を紹介するべく、まずは「講師プロフィール」を掲載しますので、ご一読のうえ、ぜひ講演会へお運びいただきますよう、宜しくお願い申し上げます。(23.05.2018記)

講演会の終了に伴い、内容報告とレジュメ(講義録)を追記しました。(27.05.2018記)

●講師プロフィール
植木啓子(うえきけいこ)氏。大阪新美術館建設準備室 主任学芸員。1969年、新潟県生まれ。マンチェスター大学大学院(イギリス)、マルセイユ(フランス)研究滞在を経て、1997年からサントリーミュージアム[天保山]学芸員。同館にて、「マッキントッシュとグラスゴー・スタイル」展(2000年)「ジャン・ヌーベル」展(2003年)「レイモン・サヴィニャック―パリの空のポスター描き」展(2005年)など、主にヨーロッパの建築・デザイン領域の展覧会を企画。展覧会の空間とグラフィック・デザインを「関西のデザイナーとの協働の場」として重視する。大阪から発信し、国内外に巡回した「純粋なる形象―ディーター・ラムスの時代」展(2008年)は、ニューヨークADC賞で金賞を受賞、世界各地で高く評価された。2012年から現職に転じ、企業・行政・大学その他との「デザイン連携」「場の創出」に取り組んでいる。

植木氏が企画された「レイモン・サヴィニャック―パリの空のポスター描き」展の図録は、こちらをご覧ください。

●内容報告+レジュメ
①「ボクは41歳のときに《モンサヴォン》石鹸の牝牛のおっぱいから生まれた」
②「アイデア:ポスターにふる一つまみの塩」
③「誰かと一緒に」ではなく、「誰かのために」つくること
という三つのポイントに沿って、下積み時代から《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)によるデビューまで、サヴィニャックに至るフランスのポスター画家の系譜、広告の手法・表現におけるA. M. カッサンドルとの比較(以上①)、ストーリーのない広告、引き算と足し算の広告、言葉・絵遊びの広告、アイデアをリサイクルする広告(以上②)、1970年代以降の仕事、古典的なポスター画家に徹したサヴィニャックのあり方、その理由と長所・欠点、まとめ(以上③)という内容の濃いレクチャーでした。

豊富な上映画像には、本展出品作品のほか、今回は展示されていないサヴィニャックの重要な業績、フランスのポスター史を証言する他の作家の事例、資料写真なども含まれ、①②③の深い理解の一助となっています。

レジュメに「手書きメモを付す」スタイルの講義録も作成しましたので、講演会を聞き逃された皆さんも、ご来場いただいた方も、お役立ていただければ幸いです。(出力用のPDFデータは、こちらからダウンロードできます)

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TOPICS018:巨大ポスターをめぐって エピローグ 22.05.2018

この連載記事の第一回第二回で詳しく紹介したように、サヴィニャックが活躍した1960年代まで、ヨーロッパの大都市、とりわけパリでは、「外壁に糊で貼った巨大ポスター」を至るところで見ることができました。
では、こうしたポスターは、いつ頃から収集・保管、調査・研究、展示・公開の対象――美術館、博物館、資料館、図書館などに帰属する「作品・資料」になったのでしょうか。
それは、絵画や彫刻に代表されるアート(純粋美術)、また、芸術性の高い伝統的なものつくり(工芸)とも異なる「近代の産業・社会に供する創造的な事物(デザイン)」が領域として確立された19世紀後半から20世紀初頭に遡ります。言い換えると、デザインの黎明期には既に、ヨーロッパのさまざまな国・地域において、その頃は「産業工芸(インダストリアル・デザイン)」「商業美術(グラフィック・デザイン)」と呼ばれていた分野の成果、すなわち「製品」「広告」が、デザイン・ミュージアムの始まりこと「応用美術館」「美術工芸館」で管理されるようになったのです。専門の施設がない場合、博覧会や他の展示会場でお披露目があり、いわゆる美術館、歴史博物館などにもデザインの「作品・資料」が少しずつ仲間入りを果たしていきます。
フランスに目を向けると、1877年に「パリ装飾美術館(Musée des Arts décoratifs, Paris)」が設立され、1905年になって現在の場所に移ります。ポスターに特化した施設については、1898年という早い時期に計画が提案されたものの、実現に至ったのは80年後、1978年に「パリ・ポスター美術館(Musée de l’Affiche, Paris)」が開館します。ちなみに、栄えある開館告知ポスターは、サヴィニャックが手がけました。その後、名称が「パリ広告美術館(Musée de la Publicité, Paris)」と変わり、一時的な閉館を経て、装飾美術館の広告・グラフィック部門として再開しています。


ところで、パリであれ、他の街であれ、ポスターは、今のところ「巷に貼られてなんぼ」のコミュニケーション・デザインのツールに他なりません。一方、その役目を終え、ミュージアムで第二の人生を送るポスターは、パリの装飾美術館、本展でお世話になっているフォルネー図書館だろうと、展覧会を開催中の当館だろうと、「作品・資料」として取り扱われます。とするならば、本質的に「社会のなかで活きる・街を彩る広告」でありながら、もはや「貴重な文化資源となった印刷物」を展示するに当たって、どのように二つの観点を満たせるか、そのすり合わせを真摯に考えねばなりません。なかでも「巨大ポスター」は、難易度が高いと言えるでしょう。
一例として、《ヴィシー・セレスタン:鉄のように頑健》(1963年)を取り上げると、全体寸法が高さ318.0cm幅234.0cmの超大型です。広告としては、四枚の紙に印刷し、壁の上で貼り合わせたので、重なる部分によっては「紙の耳」が残され、接合部に「トンボ(目印)」が刷り込まれました。ポスター貼りの現場では、この耳が隠れます。
しかし、印刷所から直接入手したポスターは耳が残っており、作品・資料保護のために「ひと回り大きい麻布」で裏打ちするのがヨーロッパのミュージアムの常です。フィールドワークによって壁からはがして収蔵したものは、風雨にさらされて状態が悪く、なおさら丁寧に裏打ちされています。とは言え、巨大ポスターを完全に接合すると、大き過ぎて取り扱いが困難となります。よって、多くの場合、分割したまま、あるいは部分つなぎで裏打ちして保管せざるを得ません。

これを、「ポスターらしく」「安全に」展示するには、
*接合部を目立たないようにし、周囲の裏打ちもできるだけ隠す
*麻布と大きさによる「重み」に耐え、「しわ・たわみ」が生じないよう、丈夫なパネルに留める
*作品とパネルを保護するフレームが主張せず、展示壁と一体的に見える仕様とする
などの工夫が必要となります。


特に今回は、パリから作品が「ロール」で送られて来ました。もちろん裏打ちはされていますが、巻いて届いたものを伸ばし、それぞれの大きさ・状態に照らして、1点ずつ異なるマット、パネル、フレームを日本で作り、なおかつ全五会場へ巡回するための梱包・輸送・展示システムを編み出しています

これには、パリ市フォルネー図書館ティエリー・ドゥヴァンク氏(本展監修者)に相談しながら、開催五館の全学芸員、紙作品の修復家、額装スタッフ、美術搬送展示チーム、展覧会事務局の皆で知恵を絞りました。

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