TOPICS011:見どころ紹介+ショップ情報 その① 29.04.2018

宇都宮美術館よりボンジュール! ゴールデンウィークの到来とともに、当館での「サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法」展が開幕しました。


お天気にも恵まれ、美術館エントランスに掲出された《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)によるサインが木漏れ日と大谷石壁に美しく映えます。


当館における本展は、やはりモンサヴォンの「牛」のバナーが吊り下がる中央ホールから始まり、二つの展示室(順路は向かって「右→左」)に、200点を超えるポスターや原画、各種印刷物、写真、参考出品作品(貴重なスケッチ、愛用の画材など)をゆったりと、かつ変化を付けて配置しました。


見どころについては、本サイトを通じて少しずつ披露していきますが、まずは《牛乳石鹸モンサヴォン》のコーナーをご覧ください。今回は、「サヴィニャックが活躍した頃のパリの街の様子」を伝える写真が出品されており、これらを眺めると、「ヨーロッパ特有のポスターの掲出方法」を窺い知ることができます。一言で記せば、建造物の壁にダイナミックに貼る――展示室では、その部分な再現も試みています。


あわせて、小さな作品、裏面にも注目したい印刷物、立体などが際立つよう、そして壁面に展示した作品群と関連付けて鑑賞できるよう工夫を図りました。
※展示室内で配布している出品作品リストは、こちらからもダウンロードできます。

ミュージアム・ショップでは、開幕に先立つ内覧会の昨日から、本展の公式図録(1冊=税込2,300円)ほか、豊富な展覧会グッズが店頭に並びましたので、ご来館の際には、ぜひお立ち寄りいただければ幸いです。
※商品に関するお問い合わせは、ショップ直通TEL.028-666-8585までお願い申し上げます。

[関連ニュース]
デザインや地域文化、アウトリーチに焦点を当てた活動も展開している当館のプロジェクトから、このたび「宮の注染を拓く 手拭」(5種)というオリジナル商品が誕生しました。
こちらは、「地域産業とデザイン」をテーマに、江戸中期にさかのぼる「宇都宮の染めの歴史」と、これを育んだ「地域の風土」を調査研究し、明治末期から広まった「注染」の技法に焦点を当て、地域の人々とともに、この技法にふさわしい「宮モダンのパターン・デザイン」を拓いた平成27年度の館外プロジェクトの成果です。プロジェクトにおいては、公募で選ばれた5つの原案(受賞作)が、「人々の共創」と「デザインの力」によって、いま・これからの地域内外に人々に愛される、宇都宮らしい普遍的な「宮モダンの注染反物」として完成され、その商品化こそが「宮の注染を拓く 手拭」となります。
当館ショップ、並びに東武宇都宮百貨店 5階和食器売場5月10日より販売)でお取り扱いしておりますので、宜しくお願い申し上げます。
※商品とプロジェクトについての詳細は、こちらをご覧ください。

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TOPICS005:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード エピローグ――デザイナーの眼 11.04.2018

《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)のポスターで大きな弾みがついたサヴィニャックは、最も得意とする「シンプルで伸びやかな表現のイラストレーション」による作品群で、とりわけ1950年代~1960年代のポスター史に揺るぎない地位を築きます。もはや「自主制作のポスター原画」を描き、広告代理店回りやクライアント探しに奔走せずとも、フランス内外の名立たる企業から、さまざまな仕事の依頼が来るようになったのです。エール・フランス航空のシリーズで「マルティニ大賞 特別賞」(1956年)に輝いて以降、受賞歴を重ね、国際的な評価も高まりました。
とは言え、1970年代になると、連載記事の第四回で言及したアート・ディレクター制度の定着と、これに伴うコミュニケーション・デザインのあり方、それを受け止める社会それ自体の様変わりには抗えず、仕事量が著しく減ります。年齢的には60代に入っていました。それでもなおサヴィニャックは、引退など眼中になく、自ら編み出したグラフィック表現、制作手法を、むしろ公共広告や、1982年から創造・生活の拠点としたトゥルーヴィル=シュル=メールの地域活動に活かし続けるのです。

そんなサヴィニャックについて、同時代の日本人グラフィック・デザイナーで、親交もあった亀倉雄策(1915~97年)は、敬愛を込めて「フランスの文化である」と称えました(展覧会図録『フランスのユーモアとエスプリ サヴィニャック ポスター展』西武美術館, 1989年)。すなわち、フランスのポスター作家ではなく、この国の文化を体現する存在だと。
では、もっと若い世代のクリエイターに対して、サヴィニャックは如何なる「糧」を残したのでしょうか。
「連載記事《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード」の締め括りは、そのリアルな声――まさにサヴィニャックの申し子にして、彼を世に送り出した「牛」のモティーフを効果的に用い、当館のポスターチラシを手がけられたグラフィック・デザイナーの岡田奈緒子さんにお話を伺いました。

【サヴィニャック2018@宇都宮美術館 特設サイト(以下・宇)】まず、岡田さんにとって、サヴィニャックはどのような存在ですか?
【岡田奈緒子さん(以下・岡)】 イラストレーションと広告を高度に融合させ、アートと呼べる領域にまで高めた偉大なイラストレーターであり、グラフィック・デザイナーです。
【宇】 第一会場の練馬区立美術館で、実作をご覧になった感想は如何でしたか?
【岡】 サヴィニャックの「絵」や「ポスター」のイメージ、これらに関する知識に触れてはいたものの、展覧会場で現物を前にすると、その圧倒的なサイズ鮮やかな色彩に驚かされました。【宇】 それほどの巨匠の大回顧展の印刷物となると、かなり熟考されたかと想像されます。今回の全体コンセプトと、個別アイテムのデザインについて、ぜひ教えてください。
【岡】 最初に五館共通の「展覧会図録」(練馬区立美術館宇都宮美術館三重県立美術館兵庫県立美術館広島県立美術館, 2018年)に取り組んだので、これが出発点になっています。本展は、原画やデザイン画が多数出品されるため、サヴィニャックのデザイン画に引かれた「グリッド」を、図録のエディトリアル・デザインのベースに取り入れ、老若男女を問わず受け入れられるサヴィニャックの絵の可愛らしさ、魅力を生かす配置と、多色使いの鮮やかなカラー・スキームを意識しました。表紙だけはでなく、本文の随所に「切り抜きイラストレーション」を入れることで、親しみやすいデザインも心掛けています。続いて、図録を踏まえて、そのイメージを活かしながら、同じく「グリッド+切り抜きイラストレーション」というコンセプトを採用したのが、「宇都宮美術館の宣伝物」です。そして、サヴィニャックの「グラフィック・デザイナーとしての側面」を打ち出すために、ポスターとチラシの背景には「幾何学的に見える書体」を大きく入れ、グラフィカルな紙面構成を試みています。一方、チケットは、券種ごとにイラストレーションを変え、展覧会に行きたくなるような楽しさを演出しています。【宇】 「紙」に対するこだわりも感じられますね。
【岡】 ポスターとチケットは、敢えてザラっとした紙(ブンペル ホワイト 四六判 Y 95.0kg)を選びました。今日の印刷物を特徴づけるシャープさを抑え、懐かしさレトロ感を優先したテイスト、サヴィニャックの時代感覚を実現するためです。逆に、送・配布量とともに、多くの人々が手に取る機会が多いチラシは、見やすく、なじみの良い紙(b7ナチュラル 菊判 Y 59.5kg)にしています。
【宇】 仰る通り、サヴィニャックが最も輝いた時代のムード、彼の個性も「質感のあるポスター用紙+リトグラフ」に負うところが大きく、しかも半世紀以上も前の作品ですから、今になって見ると、物理的に「古色蒼然」としたものになっています。この独特なテイストを、現代のデザイナーの眼と印刷技術によって、岡田さんは秀逸にまとめられましたね。それでは最後に、岡田さんが代表を務めておられる「ランプライターズレーベル」をご紹介ください。
【岡】 グラフィック・デザイナーの岡田と、編集者の小林功二で構成されるデザイン・ユニットです。雑誌、書籍、カタログ等の編集、エディトリアル・デザインを中心に、企画からデザインまで一貫した提案を得意としています。
【宇】 本日はお忙しいところ、ありがとうございました。当館での「サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法」展が始まりましたら、ぜひご高覧ください。

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TOPICS004:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その④――サヴィニャックの姿勢 09.04.2018

《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)によるサヴィニャックのデビューは、ポスターに代表される「コミュケーション・デザインのつくり方」が変わり始めた時代(1950年代/1960年代)の出来事です。
「ポスター原画」の概念は、20世紀初頭には、画家による「」(これをトレースして美術印刷所が「文字」を添える)から脱却し、1920年代~1930年代になると、商業美術家(グラフィック・デザイナー)が工夫を凝らす「絵+文字=広告図案」へ進化を遂げました。以降、クライアントの要望と、社会の反応を踏まえた「絵+文字+アルファ(広告戦略や宣伝技術など、コマーシャル・プランニングの原理)」という認識も高まります。
但し、ポスターを制作し、世の中に広める実務は、作家のアトリエ、デザイン事務所、印刷所内のさまざまな部署、クライアントである企業や公共団体、これらの橋渡しや配布・掲出を行う広告代理店などの分業の上に成り立ち、この複雑な構造は、現代においても同じです。こうした分業を、創造的に統括・監督するのがアート・ディレクターの役割、とする発想が、「つくり方の激変」を促した「アート・ディレクター制度」にほかなりません。
よって、アート・ディレクター制度の浸透は、「原画を生み出す者」の姿勢に大きな影響を及ぼします。サヴィニャックの場合、一貫して自身の「絵」を大切にしながら、むしろ現場の判断に信頼を置き、分業を担う多くの人々とのマジックを楽しんだ印象を受けます。言い換えると、サヴィニャックは、それほど絵が上手いポスター作家であり、いわゆるアート・ディレクターとは異なる姿勢に徹した、として良いでしょう。
だからこそ、今から半世紀以上も前、という時代背景を考慮しても、同じ「牛」が、ヴァリエーションとなるポスターでは違う風貌を見せ、彼の「絵」に基づくノヴェルティも、姿かたちが若干相違するのです。晩年の再制作に至っては、後から分析してみると、実は良く出来た絵だった!という愉快な自画自賛だったのかも知れません。

[はみ出し情報]
何度も言及してきた「牛乳石鹸モンサヴォン」について付記すると、「私の=モン(mon)」「石鹸=サヴォン(savon)」を意味するフランスの家庭用(身体洗浄用)石鹸の誕生は、1920年に遡ります。当初はクリシーの「フランス石鹸社」の製造・販売で、やがてラヴェンダー香料入りの製品もお目見えしました(1925年)。1928年にはロレアルによって買収され、以降、フランスの著名ポスター作家を起用した広告展開が図られます。ファミリー・ブランドとしての定着は、もちろんサヴィニャックの「牛」と、やはり彼が手掛けたパッケージの功績が大きく、本展では、《ドップ&モンサヴォン:身体を洗って、良い匂いをさせて》(1954年)の画中(右側の女の子の手)に、フランスの家庭を席巻した「青いパッケージ」を見て取ることができます。その後、プロクター・アンド・ギャンブル(1961年)、サラ・リーH&BCフランス(1998年)、ユニリーヴァ(2011年)と親会社は変わりますが、往年の名ブランドは、新しいライフスタイルに合致したかたちで健在です。

※この連載トピックスの第一回第二回第三回も、ご一読ください。また、サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。

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TOPICS003:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その③――当時の業界 07.04.2018

広告代理店「広告コンソーシアム」のインハウス時代に「お蔵入り」となった原画が、求職中に開催した二人展の会場で、馘にされた代理店・親会社のトップに見出され、輝かしいデビューにつながる――《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)のポスター誕生をめぐるエピソードは、一見、ほほえましい華やぎに満ちています。
しかし、代理店の側から見れば、アイディア段階の広告図案が、退職したサヴィニャックの手元に個人の仕事として残されていたことは、信義・権利の点で、少なからぬ問題を引き起こしかねなかった、と想像できます。クライアントであるロレアルの側においても、たまたま広告対象と関係者が完全に一致する珍しい状況だったにせよ、永遠に忘れられたかも知れない名作を、短い年月の間に再発見し、効果的に活用できたので万々歳、という美談では済まなかったのではないでしょうか。但し、こうした分析は、あくまでも「現代のコミュニケーション・デザインのつくり方」に照らした推論です。
そこで、このエピソードを「当時の業界」の眼差しで整理すると、たとえ商業美術の枠組みに置かれ、純粋絵画ではなくグラフィック・デザインの理論に従い、「絵+文字=広告図案」のかたちで制作されたものだとしても、原画はクリエイターの創造的な精神・活動に帰属する、という意識が、19世紀末~1950年代/1960年代のフランスのポスター作家には強かった、と言えます(アートの世界に近い)。サヴィニャックもご多分に漏れません。一方、原画を経済の論理で、しかも別種のクリエイティヴな力をもってポスターとして世の中に着地させノヴェルティなどの二次展開を図るのが、その頃のクライアントと広告代理店の役割でした(デザインの世界に近い)。

今でこそ、ポスターや他の印刷物(広告媒体)と原画(グラフィック作品)は、表裏一体の関係にありながら、同じ次元には存在しないもの、そして、違う次元にあるこれらを「一つの世界観」で統合するのがアート・ディレクターの腕の見せどころ、という「つくり方のルール」が社会に敷衍しています。ちなみにサヴィニャックは、ちょうど人々の考え方が変わり始め、コミュニケーション・デザインのつくり方が新天地に入る時代(1950年代/1960年代)に、本格的な制作活動をスタートさせました。
よって、本展に出品される作品群は、今日の感覚からすると、「どこまでサヴィニャックがディレクションに関わったのか」「なぜ自身のポスターの再制作を晩年に手がけたのか」といった、さまざまな不思議に満ちています。(続く)

※この連載トピックスの第一回第二回も、ご一読ください。また、サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。

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TOPICS002:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その②――ヴィルモとの二人展 05.04.2018

数あるサヴィニャックのポスターのなかでも、知名度とヴィジュアル・インパクトの高い《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)は、その誕生が一種の「デビュー神話」として語り継がれています。まず、このポスターの「原画」を手がけた当時のサヴィニャックは、さまざまな苦節を味わった1920年代~1930年代を経て、フランスの化粧品メーカー「ロレアル」のグループ企業で、広告代理店の「広告コンソーシアム」にデザイナーとしての地位を得たものの、退職を余儀なくされたばかりでした(在職1943~47年)。そんな状況にあって、年齢が近い同業の友人ベルナール・ヴィルモ(1911~89年)と再会したサヴィニャックは、ヴィルモのほか2名のクリエイターが共同で借りていたアトリエ(パリ1区ダニエレ・カサノヴァ街)に転がり込みます。
そして、フリーランスの立場では、新旧クライアントへの訴求、また、インハウスの職を求めるために、ひたすらポスター原画を描く、という活動を続けながら、ヴィルモの提案により、二人展ヴィルモとサヴィニャック ポスター展」(パリ、メゾン・デ・ボザール。1949年5月20日~6月4日)を開催しました。その会場に並んだのが、のちに《牛乳石鹸モンサヴォン》(ポスター)となった「牛」(原画)であり、これに着目したのは、ロレアルと広告コンソーシアムの創設者にして、数年前にサヴィニャックを馘にしたウージェーヌ・シュレール(1881~1957年)だったのです。こうして「サヴィニャックの“牛”」は、正式にロレアルの、すなわち「モンサヴォン石鹸の“牛”」として世の中にお目見えします。(続く)

※この連載トピックスの第一回も、ご一読ください。また、サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。
※取材協力=練馬区立美術館

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TOPICS001:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その①――サヴィニャック登場 02.04.2018

本展の主役であり、展覧会概要のなかで、そのキャリアについて少しばかり触れたレイモン・サヴィニャック(1907年、フランスのパリ生まれ。2002年、トゥルーヴィル=シュル=メールにて逝去)は、和暦で記すと、明治末期(明治40)に生まれ、平成半ば(平成14)まで存命だった息の長いポスター作家です。商業美術(今日のコミュニケーション・デザイン)の世界に飛び込んだのは、コレージュ(フランスの4年制中等教育機関)を15歳で中退し、その翌年にパリ地域公共交通公団STCRP。現・パリ市交通公団)の見習い図案画工になった時でした。1923年(大正12)のことです。以来、「生涯現役」の作家として活動を展開しますが、本当の意味でのデビュー、すなわち独自のスタイルを確立し、名立たるクライアントのために、世間的にもデザイン史においても注目されるポスターを発表したのは、実のところ40歳を超えてから。それが、本展の当館宣伝物でシンボル的に用いている「モンサヴォン石鹸の“牛”」に他なりません。サヴィニャック自身は後年、デザイナーとしての出自について、「モンサヴォンの牛のおっぱいから生まれた」と語っていますが、この名作ポスター《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)には、興味深いエピソードが隠されています。そこで、「トピックス」第一弾は、本作品をめぐるお話を、何回かに分けて綴りたいと思います。(時折、展覧会に関する「ニュース」で中断される場合もあります。ご了承ください。)

※サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。

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