TOPICS026:見どころ紹介+ショップ情報――エスプリはディテールに宿る(最終回) 16.06.2018

ボンジュール!皆さん。ゴールデンウィークとともに始まった本展も、梅雨空の下、余すところ一日となりました。作品の日本到着から数えると、およそ半年を経過しています。そして、サヴィニャックが《牛乳石鹸モンサヴォン》の原画(1948年)を手がけてから、実に70年の歳月が流れました。
連載記事「見どころ紹介+ショップ情報」を締め括る今回は、どれほど月日が経っても褪せないサヴィニャック作品の魅力を、ギャラリー・トークや記念講演会、図録でもほとんど触れなかった「印刷技法」に探る、という観点で綴りたいと思います。展覧会をすでにご覧いただいた方は、作品・展示を思い起こしながら、また、明日の最終日が心待ちの皆さんと、これから三重・兵庫・広島の各館で観覧される人々には、ささやかな鑑賞ガイドとしてお読みいただければ幸いです。

19世紀末に始まるヨーロッパの近代ポスターは、サヴィニャックの最盛期(1950~1960年代)、引き続く1970年代の半ばまで、リトグラフによるものが主流でした。「版・インク・紙の関係」で言うと、「平版」に分類されるリトグラフは、色が鮮やかなうえ、大きな版で多くの枚数を刷ることに適しているため、必然的にポスターで多用されたのです。その開発・制作の中心がフランス、とりわけパリは最大の拠点に他なりません。フランスは、造形芸術としての刷り物(版画)の優れた伝統も有するので、商業広告もしくは美術作品、あるいは両方を得意とする一流の美術印刷所が、「リトグラフによる芸術性の高い印刷物」の発展に寄与しています。A. M. カッサンドルやサヴィニャックのポスターは、こうした風土の賜物、として良いでしょう。いみじくも「石版」と訳されるように、リトグラフにおいては、表面をざらざらにした石灰石(版)に油性クレヨンで絵や文字を描き(直描)、アラビア・ゴムを塗って「製版」を行います。ゴムはクレヨンと反応して油を、石の成分にも反応して水を引き寄せる性質を示します。次に、石(版)を水で濡らし、油性インクを載せると、水と油がはじき合い、クレヨンで描かれた部分だけにインクが付き、そのイメージを紙に刷る、これが「印刷」の仕組みです。但し、この方法では、リアルで細かい表現が難しいため、商業広告の場合、直描ではなく、イメージの転写や、金属版を用いたリトグラフが台頭しました。

カッサンドルが活躍した時代(1920~1930年代)は、繊細な調子を生み出すのにエアーブラシが用いられ、近寄って見ると、その巧みな使い方――非常に小さな「点」の集まりによって、陰影・濃淡が作られていることに気付かされます。ところがサヴィニャックは、若い頃からエアーブラシが大の苦手でした。よって、リトグラフならではの「勢いのある筆さばき」「柔らかなクレヨンづかい」を活かす表現に徹し、そのディテールは、大らかな風情を湛えます。

その後、リトグラフの原理を発展させ、大量印刷、写真のような表現が可能な「オフセット印刷」(平版)が考案され、アメリカや日本の場合、戦前から商業広告を席巻します。これは、写真による製版と、版と紙を密着させない印刷を特徴とし、特に刷りの工程は、筒型の金属板に水をつけ、インクを塗って、やはり円筒状のゴムにイメージを転写してから紙に印刷する、という画期的な方法でした。軟らかいゴムは、細かい陰影・濃淡を表すのに適しており、筒が回る輪転機の導入で、印刷物がより早く、より多く刷れるようになったのです。オフセット印刷は、虫めがねで観察すると、独特の「網のような点」が見えます。

こうした状況にあって、歴史的に「リトグラフの美術印刷」を誇ったヨーロッパ、とりわけフランスでは、「写真製版+金属板リトグラフ」という発展的な折衷技法が実践され、結果的に商業広告におけるリトグラフの存続が図られました。本展の出品作品としては、《オリヴェッティ レッテラ22》(1953年)が該当し、いかにもサヴィニャックらしい、言い換えると素朴なリトグラフ表現の人物と、当時の工業製品のカタログから切り取られたような写真製版のタイプライター、そのパッケージが対比を成し、珍しいタイプのポスターと言えます。人物を彩るタイプライターの二色フォント、企業・製品のロゴマークの部分は、刷りこそリトグラフですが、もちろんサヴィニャックの直描ではなく、彼の指示に従って転写され、製版の実際は美術印刷所の画工に帰せられます。

商業リトグラフの黄金期を牽引したカッサンドルは、さまざまな理由が重なって、1968年、67歳でピストル自殺の露と消えました。巨匠を精神的に追い詰めた理由の一つに、フランスにも押し寄せた「リトグラフ広告の凋落」があった、と言われています。緻密で完璧なグラフィックを再現する古典的な技法、デザイナーを納得させる手わざと美術印刷所の粋――「リトグラフのポスター」の時代が間もなく終焉する、と予見し、耐えがたい絶望を感じた、と解釈して良いでしょう。その頃、われらがサヴィニャックも、アート・ディレクター制度、写真を全面に打ち出したポスターの敷衍で、戦々恐々たる思いに囚われるようになった1970年代を目前にしています。

その代わり、affichiste(ポスター作家)としては、製版・印刷技法の如何にかかわらず、イラストレイティヴな作風を貫き、自身もクライアントも再起を賭けた《前へ、シトロエン!》(1981年)で花を咲かせた翌年、トゥルーヴィル=シュル=メールへ転居。さらに20年間、ポスター制作の方法、ひいてはコミュニケーション・デザインがデジタルの時代に突入するのを横目で見ながら、相変わらずのスタイルを守り、穏やかなペースで創造を続け、2002年に94歳の大往生を遂げました。

 

そんなレイモンが生涯大切にした「フランスのエスプリ」「パリにかけたポスターの魔法」を、当館の最終日は展覧会場で、印刷技法を始め、作品のディテールのなかに読み解いていただければ幸甚です。(完)

[ミュージアム・ショップからご挨拶]

ミュージアム・ショップからの最後のお知らせは、本展図録のご紹介となります。

 

●本展図録:ハード・カヴァー/全264ページ:税込2300円
日本で開催されるサヴィニャックの個展としては最大規模、200点以上の出品作品・資料の画像、項目・作品・トピックス解説を散りばめ、3本のテキスト、詳細な年表、文献リスト、巻末データと大変充実した内容です。監修者のティエリー・ドゥヴァンク(パリ市フォルネー図書館学芸員)による「サヴィニャック、パリの魔術師」は日仏対訳、他のテキストは、解説を含めて日英併記(年表のみ日本語)。詳しい内容は、こちらをご覧ください。

宇都宮美術館ミュージアム・ショップでは、サヴィニャック展の公式図録・グッズのほか、ショップ内の取り扱い商品を、
※通信販売+全国配送
いたします。
詳しくは、下記までお問合せください。
直通TEL.028-666-8585
E-MAIL:utm_ms@icloud.com
なお、
※サヴィニャック関係の商品は、最終日6月17日のみの扱いとなりますので、ご注意ください。

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TOPICS024:見どころ紹介+ショップ情報 その⑤ 11.06.2018

ボンジュール!皆さん。当館での本展も、余すところ1週間となりました。月日が経つのは、まことに早いものです。
今回の「見どころ紹介」は、展示を未見の方々、そして今週いっぱいの間に、もう一度、観覧を考えておられるリピーターの皆さんにも、これまで触れていなかった「必見のポイント」をご紹介したいと思います。

展覧会の導入となる「中央ホール」から見て、向かって右側の「会場1」は、入口にサヴィニャックが世界へ羽ばたくきっかけとなった《ヴィルモとサヴィニャック ポスター展》(1949年)のイメージを、作品よりも大きく「ウェルカム・サイン」として使っていますが、我らがレイモンは、花を手にした「右側の赤い人物」です。ヴィルモ(左側の青い人物)との違いは「口ヒゲ」の有る無しで、これにまつわるエピソードは、それまでヒゲを蓄えていなかったサヴィニャックが二人展の際に、世間に朋友のヴィルモと区別してもらうために、ポスターのなかの自身にヒゲを付し、以降、それが彼のトレードマークになった、というもの。
この時、サヴィニャックは41歳でした。本展では、さらに遡って「ヒゲのないレイモン」――それも幼少期から青年期までの姿を、貴重な記録写真に探っています。いずれも小さな写真のため、まとめて「1枚の額」に収めており、その向かい側にある年譜とともに、「パリの下町に生まれた少年が、どんな経緯でフランスを代表するポスター作家になったのか」「最初はどの仕事も長続きしなかったけれども、そんな経験が後年における創作の糧となった」ことを、読み解いていただければ幸いです。

あわせて、すでに取り上げた「A. M. カッサンドルのアシスタント時代」の仕事、その後、フリーランスの立場で手がけた「サヴィニャックらしさ」が窺われる1940年代の作品にも注目。これらには、単純化された動物・人間のイメージ骨太だけれども手描きならではの柔らかい線の表現特定の色による平明なコンポジションなど、《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)に見るサヴィニャックの特質がすべて現れています。「指さすヒト」の原型も、雑誌の表紙に登場しました。

しかし、同じ展示室内の他の作品群は、編年的にではなく、あえて類似のテーマや、本展の組み立ての根幹を成す「モティーフの括り」に沿って並べています。と言うのも、サヴィニャックの場合、モンサヴォンで確立し、世の中にも字義通り受け止められた自称「ヴィジュアル・スキャンダル」(物議を醸す視覚表現*)というスタイルは、そのインパクトが古めかしく感じられるようになっても、晩年に至るまで踏襲されたからです。いかに「ノン・コミッションド」(自主制作*)のポスター原画を出発点とし、原画に対するこだわりを持って制作したにせよ、基本的に商業美術は、多様な広告対象とクライアント、変転する時代、不特定多数の観客がポスターの向こう側に存在するので、理論に裏付けられた普遍性を目指さず、しかもこのような表現を貫いたサヴィニャックのあり方は、かなり特異だったと言えます。
(*)「ヴィジュアル・スキャンダル」「ノン・コミッションド」については、「サヴィニャックをめぐる言説」を参照

再び中央ホールに戻り、今度は向かって左手の「会場2」に目を向けてみましょう。展示室の入口には、電器メーカー「フリジェコ」のシリーズから抽出した「指さすヒト」の人形、ウェルカム・サインは《イル・ジョルノ紙》(1956年)を選びましたが、どちらも独自なスタイルの開花、並びに様式化を示唆しています。

こちらの展示室に関しては、随所で試みた「原画とポスターの並置」に留意してください。フランスの近代ポスターにおける「アイディア・スケッチがポスターになるまでの工程」は、「サヴィニャックとともに旅を その③」で記したため、ここでは詳細を割愛しますが、特にサヴィニャックについて興味深いのは、一口に「原画」と言っても、目的によって、さまざまなサイズと完成度のものがあり、そのすべてが解明されていない点でしょう。たとえば、スケッチに近い原画、いわゆる(作家の肉筆とされる)ポスター原画、製版の一段階前と思しい(印刷の現場に最も近い)ポスター原画は、「サヴィニャック作品」として刷られるポスターと、必ずしもディテールが合致しません。また、入念な検討・推敲を通じて、完成に至る段階を示すものとは言い難い印象です。

事実、「ウット毛糸」のコーナーでは、右端の小ぶりな原画(1949年頃)と、ドアノーによる左端の写真(1950年)に見る大きな原画は、かなり違う点に誰もが気付かされます。

右から二番目のポスター(1949/1951年)と、それに基づいて42年後に作家自身が再制作した不思議なデザイン画(1993年)も同様。結論から言えば、サヴィニャックは、決して「緻密なアプローチを追求する理詰めのグラフィック・デザイナー」「鋭い感覚で采配を振るやり手のアート・ディレクター」ではなく、どこまでも「爛漫なヴィジュアル・スキャンダルに透徹したポスター画家」でした。よって、こうした「原画のばらつき・ポスターとの不一致」が生じ、広告の発表後、「プロジェクトの起承転結を系統的に保存・自己分析したわけでもなかった」と考えられます。

別のコーナーには、まさにサヴィニャックならではの「放逸な典型」を表象する「指さすヒト」の原画とポスターがずらりと並びます。ちなみに、これらの指が揃って「右を差す」理由は、「サヴィニャックの色 その③ 」で解説した「文字列が左から右へと記される欧文の性質」と関係しており、事例としては少ない「左を差す」タイプ――たとえば《ペルネル(毛糸):これさえあればバッチリ》(1965年)も、「毛糸玉が手編みの衣類になった」という筋書きからすると、やはり「左(毛糸)から右(全身が手編みの人間)へと視点が動く」構図に他なりません。

[本展グッズのご紹介]
ミュージアム・ショップから今回は、グッズ2種、及び本展図録を改めて紹介いたします。

●A4版ダブルファイル:税込680円
「半額料金パス」を意味する「半身の男女」のアイディアが秀逸な作品に基づく商品で、表紙は「ムッシュ」、中面右側に「マダム」を配し、左側には元になった《フランス国有鉄道》ポスターの画像を入れました。ベースとなる色が濃いブルーなので、クリアファイルでありながら中の書類が透けず、2つのポケットは容量もたっぷり。

●フランス製ポストカード(各種):税別150円
公式グッズのポストカードは、どれも「出品作品」によりますが、それだけでは飽き足らないサヴィニャック・ファンの方々もおられることでしょう。ついては、「他のサヴィニャック作品」をグッズとして購入できるよう、フランス製のポストカードを用意しました。幾つかの種類があるなかで、ここでは晩年の《ショーモン国際ポスター展》《トゥルーヴィル笑いの大衆芸能祭》を紹介します。

●本展図録:ハード・カヴァー/全264ページ:2300円
200点以上の出品作品・資料の画像、項目・作品・トピックス解説を散りばめ、3本のテキスト、詳細な年表、文献リスト、巻末データと充実した内容です。初会場の練馬区立美術館では、最終日に売り切れとなりましたので、ぜひお早めにお求めください。幸いにも当館では、下記の通り「通信販売+全国配送」を承っております。

宇都宮美術館ミュージアム・ショップでは、サヴィニャック展の公式図録・グッズのほか、ショップ内の取り扱い商品を、
※通信販売+全国配送
いたします。
詳しくは、下記までお問合せください。
直通TEL.028-666-8585
E-MAIL:utm_ms@icloud.com
なお、
※サヴィニャック関係の商品は、展覧会期中(最終日6月17日)のみの扱いとなりますので、ご注意ください。

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TOPICS023:サヴィニャックの色 その③ 08.06.2018

サヴィニャックが意識的に多用した「」が、祖国フランスを体現する「トリコロール(青・白・赤)だったことは、この連載の第二回で記した通りです。あわせて、パリを示唆する明るいブルーをさり気なく添えた点も、この作家ならではの色使い、として良いでしょう。

さらに踏み込んで、トリコロールの「配列」に注目すると、絵柄との関係で、興味深い事例に行き当たります。今回、原画とポスターがどちらも出品されている《フランス、食卓の悦び》は、合板にグワッシュで描かれた前者(1966年頃)と、

完成形の後者(1966年)のイメージが完全に左右反転しており、もちろんトリコロールも同様です。
一杯の豊穣なワインを口にした「ガリアの雄鶏」(フランスの象徴)が、鶏冠から胸元まで赤く染まり、すこぶるご機嫌な様子をメイン・ヴィジュアルとする本作は、サヴィニャックが師と仰いだA. M. カッサンドルの連作ポスター《デュボ・デュボン・デュボネ(キナ入り食前酒)》(1932年)を彷彿とさせ、左にワイングラス、雄鶏(カッサンドル作品では人物)が右側、という構図も共通しています。これは、「真似をした」のかも知れない、「本歌取り」「オマージュ」ではないか、などの深読みをする以前に、フランス語その他の欧文は、文字が左から右へと記される性質と関わっています。

すなわち、「」と「文字情報」を組み合わせるポスターにおいて、「ワインを飲んだらご機嫌になった」状況を、欧文の文字列との関係を鑑みつつ、原因と結果、時系列に沿って説明的に表す場合、必然的に「ワイングラスを左に置く」のが収まりの良い構図となります。

とするならば、左を向いた雄鶏の色彩は、否が応でも「逆トリコロール(赤・白・青)となります。細かな点として、この向き・配色の雄鶏と、「フランス、食卓の悦び」の文字情報の組み合わせからすると、サインの位置も左上が落としどころになるのです。

ところがポスターは、右を向き、典型的なトリコロール配色の雄鶏のイメージで刷られました。何故でしょうか。それは、本作が「フランスの食(農林水産物・食品・飲料)を、国として世界的にプロモーションするもの」だからです。原画はフランス語版で、ポスターは英語版ですが、本展には出品されていないフランス語版のポスターも「イメージの左右反転=国旗と同じトリコロール」が見られます。しかし、原画とくらべると、ポスターの構図は、少しばかりぎこちなく、動きに欠ける印象となりました。

とは言うものの、今でこそ3色の並びが定められ、その配列に「お国柄」「フランスの文化」を強く感じますが、1794年よりも前は、実のところが逆転した旗も存在しました。

他のサヴィニャック作品で、「逆トリコロール」が原画に使われ、なおかつポスターも反転無しで刷られたのが、前々回に紹介した《文化遺産年》です。

この事例では、「PATRIMOINE」(遺産)という単語のすぐ下に、それを象徴する雄鶏の尾が描かれ、羽根の一つひとつが、構成遺産の音楽、建築、美術、文学、映画の図式化――竪琴、T定規、絵筆、ペン、フィルムになっています。これらが「フランスの文化」であることを強調するには、やはり「」が望ましく、よってイメージが左右反転されなかったに違いありません。フランスの首都であるとともに、自身が生まれ育ち、人生の4分の3を過ごした「パリ」がテーマの作品群においても、サヴィニャックは、この街に対する愛を込めてトリコロールを駆使しました。代表作の一つ《1951年、パリ誕生2000年記念》(1951年)は元より、フランス共和国の建国記念日こと「パリ祭」(7月14日)
パリの近世庭園を代表し、観光名所として知られるテュイルリー公園(整備1664年。ルイ14世時代)に関するものは、すべて「青白・赤」のコンポジションを基本とし、加えてパリを意味する「青赤」と、その風物(男女・恋人たち・エッフェル塔・花・小鳥のつがいなど)を密接に結びつけています。そして、トリコロール(及びパリ市旗の2色)の配列に、逆転現象はありません

一種の様式美とも言える「フランス/パリに捧げるトリコロール・シリーズ」の派生形として、本サイトの「サヴィニャックとデザイン史の本棚」で取り上げた『巴里案内』(マダム・マサコ著)に掲載の《雑誌『ヴォーグ』のための「1951年、パリ誕生2000年記念」イラストレーション》は、モノクロでありながら、原画がどのような配色だったのか、容易に想像することができる「鮮やかな色合いの珠玉の小品」と言えます。(続く)

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TOPICS015:巨大ポスターをめぐって その② 13.05.2018

サヴィニャックが子ども時代から親しんだ「パリを彩るポスター」は、その青年期に発展を遂げ、やがて彼は、自ら「パリにポスターの魔法をかける」存在となります。
20世紀のパリに限らず、「街とポスター」は不可分の関係にあり、ヨーロッパの場合、刷り物の「大きさ・広がり」は建造物と一体的に、また、広告としての「訴求力・効果」は人々との関わりで編み出されました。


本展の見どころでもある「貼り合わせ式の巨大ポスター」は、石や煉瓦を積み上げる西洋の組積造、1920年代以降に敷衍した鉄筋コンクリート造による建物に触れずして語ることができません。多層階で、一つひとつの階高もある集合住宅やビルディングの構造のみならず、その密集度、風土的に窓が小さく、数も少ない点に加えて、古くから都市を取り囲み、街を区分してきた(石・煉瓦造)もまた、ポスターの興隆に寄与しました。要するに、「背高で面積のある頑丈な無垢の壁」が確保できたからこそ、それが掲出に利用されたのです。


あわせて、消費文明、大衆文化、複製芸術が発展した20世紀前半の都市には、ポスター以外の広告――チラシやビラは元より、看板、垂れ幕、ショー・ウィンドー、アドバルーン、電飾、映画の挿入映像、車体に取り付けられた宣伝物などがあふれ返り、その喧噪のなかで、A. M. カッサンドル(1901~68年)が指摘した「高速で移動する人々の視線を瞬時に射止める」技術を、ポスター作家は懸命に模索します。このような状況で、ポスターが大型化し、より単純で印象的な表現に傾斜するのは、必然の為せるわざ、として良いでしょう。国・地域によっては、掲出に関する規制があったので、ヨーロッパであっても、建造物のそこかしこではなく、特定の場所、広告塔などにポスターを貼り出す方法が採られました。そうしたなかでパリは、常に街路をポスターが彩り、ポスターの魔法によって輝いた都市であり続け、この情景が、佐伯祐三に代表される同時代の画家のモティーフにもなっています。一方、建築・都市のあり方が根本的に異なり、江戸年間の高札に由来する掲示板が発達したわが国は、明治・大正・昭和戦前期、そして今日も、ポスターのスケール感、掲出が欧米とは相違します。つまり、ビルが建ち並ぶ近代的な都市――東京や大阪であっても、かつて商店や住宅の多くが低層の木造だったため、その壁と掲示板に、小ぶりのポスターを画鋲で留め、表通りではむしろ、ショー・ウィンドーの背景として掲出しやすいよう、画面の上下に金物を取り付けるタイプのポスター(昔のカレンダーと同じ)が主だったのです。


では、ヨーロッパにおける古典的なポスターの掲出は、いかなる方法だったのでしょうか。この連載の第一回でも紹介した記録写真を見る通り、それは「石や煉瓦(多くは漆喰塗)、コンクリートの壁」にふさわしいやり方で、水溶性の糊、デッキ・ブラシ2本、脚立や梯子(巨大サイズの場合、建物の屋上から職人が命綱でぶら下がる)を用います。1本目のブラシで壁に糊を塗りつけ、ポスターを貼ると、表面を2本目でこすって皺を伸ばす、という手順を手早く繰り返しますが、すでにある広告をはがすことはありませんでした。常に、新しいものが上へ貼り重ねられたのです。年月とともに、風化する、部分的に破れる、下から昔のポスターが顔をのぞかせるといった状況もしばしば見られ、絵描き写真家にとって魅力的なモティーフ研究者貴重な糧として街に蓄積されていきました。
現在、世界の国・地域では、デジタル広告が幅をきかせています。それでもなお、サヴィニャックを育み、彼が育んだポスターを「貼る伝統」は残されており、その様相を見るにつけ、ポスターという広告媒体の力が衰えていないことを感じてやみません。(続く)

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TOPICS014:巨大ポスターをめぐって その① 09.05.2018

「見どころ紹介+ショップ情報」第二回で触れた「巨大ポスターの実物展示」ですが、予告通り「新たなトピック」として掘り下げてみたいと思います。
そこでまず、同じ商品を宣伝する二種類のサヴィニャック作品――

A. 《ペリエ:プシュッと音がする水…》(1951年)
B. 《ペリエ:天然ミネラル炭酸水》(1949/1955年)
を「純然たるイメージ」だけで見くらべた場合、どちらに「大きさ・広がり」を感じるでしょうか。多くの人が「B」に軍配を上げると予測され、その理由も「三手三足の人物が宙に舞うダイナミズム」で一致するに違いありません。身体の動きに加えて、商品を掲げながら「満足そうに笑う表情」や、それによって、あるいはボトルから「溢れ出す泡」の勢いで「吹っ飛ぶ帽子」は、確かに躍動感に満ちています。これに対して「A」は、何よりも「直立して指さす人物」がスタティックであり、「人物-ボトル-噴出する水・泡」のつながり、全体のまとめ方が散漫な印象を受けます。
では、両者を「実際の寸法」で比較してみましょう。

すると、「A」のスケール感に驚きを覚えてやみません。本作は、分割して刷った4枚の紙」を貼り合わせることで、一つのイメージが完成されるポスターに他ならず、それぞれのパーツが「B」と(ほぼ)同寸、しかも日本のポスター用紙の最大サイズB0(H103.0×W145.6cm)を上回っています。さらに、「A」に描かれるボトルを取り出し、観覧者(街中でポスターを眼にする人)との関係で考えるならば、ボトルの高さが約74.1cm、これをポスターの右下に配すると、人々の視点が「ボトル=商品=ペリエ」に集まり、その先端から噴き出す炭酸水を見上げて圧倒される、という仕掛けがあることに気づかされます。つまり、一見したところ単調なイメージが、物理的な大きさによって驚異的に迫力を増すのです。
参考までに、「B」に登場するボトルは、実は現行商品の750mlガラス瓶(約37.4cm)と余り変わらず。こちらは絵柄が変化に富むので、「1枚物」でありながら訴求力は十分、として良いでしょう。もっとも、フランスに代表されるヨーロッパの近代ポスターは、同じイメージの拡大・縮小版が存在し、「A」のような絵柄で小ぶり、逆に「B」の路線で巨大な事例が刷られたのも事実です。ちなみに、フランスで「貼り合わせ式」のポスターが生み出されたのは、19世紀末~20世紀初めのベル・エポック期(ポスターの第一黄金時代)に遡り、アルフォンス・ミュシャ(1860~1939年)らの作品でも見られます。また、街中では、一つのイメージを壁の上で合成するのではなく、同じポスターを何枚も並べて貼る、という素朴な掲出が実践されました。


やがて、ポスターの高度な発展により、
多数のパーツを縦横無尽に構成+その増殖=巨大ポスターが市井を席巻する状況
※多数のパーツ+複数の絵柄=巨大ポスターによるコマ撮りのような効果
に至ります。時あたかも1920年代~1930年代のアール・デコ期(ポスターの第二黄金時代)A. M. カッサンドル(1901~68年)が一世を風靡し、サヴィニャック青春時代のことでした。(続く)

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TOPICS009:サヴィニャックとともに旅を その③ 19.04.2018

1933年にアリアンス・グラフィック社の下請け、その翌年になると、同社の看板デザイナーの一人A.M. カッサンドル(1901~68年)のアシスタントになったサヴィニャックは、自身の将来を見据えて、フリーランスの仕事も引き受けるようになります。しかし、理論・実務を学びながらの活動は、1938年の冬に終止符が打たれました。カッサンドルがアメリカへ渡ったからです。
カッサンドルの紹介により、ポスター下絵師・図案家として職を得たドラジェール兄弟印刷所も(在職1938~39年)、第二次世界大戦に伴う従軍で辞めざるを得ず、「ポスター作家 サヴィニャック」のキャリアは、除隊後の1940年以降、実質的には《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)の登場をもって本格的にスタート、という紆余曲折を経ました。
よって、カッサンドル風の「旅物」ポスターは、創造の糧になったとは言え、1940年代後半には姿を消し、やはり鉄道会社がクライアントであっても、およそ趣の異なる、つまり「サヴィニャックらしい」ものに置き換えられていきます。
本展で注目したいのは、フランス国有鉄道(SNCF)「お得な切符」シリーズ(1964年)。同じ構図・文字情報による「ムッシュ編」「マダム編」は、両者の対比と、並べて掲出した時の効果、個別で見ても「半額料金」を示唆する「右半分のみ描いた人物表現」が印象的です。

今回は、二つのポスターの「原画下絵」も出品されているため、これらとの比較も可能であり、「アイディア・スケッチがポスターとなるまで」の工程を窺い知ることができます。

作家、国・地域、時代、技法などで異なるので、あくまでも「フランスの近代ポスターに顕著な一つの方法」として記すと、
①アイディア・スケッチ
②ポスター原画の下絵=「絵」が主体
③ポスター原画=「文字」をアタリで添える
④製版用のポスター原画=「文字」「ロゴマーク」などを正確に入れる
⑤製版
⑥印刷
⑦ポスター
の流れで制作され、サヴィニャックの場合、①②③は自ら手がけ、④以下の工程は美術印刷所の現場にお任せ、もしくは簡単な確認で済ませた可能性が高い、として良いでしょう。②と③、③と④の間には、絵柄の拡大(縮小のことも)トレースがあるので、方眼紙やグリッドを引いた紙が用いられ、あわせて製版・印刷に見合った細部の省略、文字やロゴマークとのバランスを鑑みた修正を行い、クライアントの最終チェックを受けて、版を作り、ポスターが刷り出されます。このような工程があるからこそ、「お得な切符」シリーズにおいては、
*人物の表情・プロポーション:原画下絵は可愛らしく、ポスターは重々しい
*同・服装:原画下絵は合服、ポスターは冬服
の点で、かなりの相違が見られます。どちらも「サヴィニャックの作品」ですが、後者に現場の判断と、クライアントの意向が反映されているのは確かです。(続く)

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TOPICS008:サヴィニャックとともに旅を その② 17.04.2018

サヴィニャックの仕事としては、最初期のエディトリアル・デザイン、パンフレット「夏の外国旅行」(1935年)は、旅行鞄の表現に「写真」に対する意識、地図との組み合わせやタイポグラフィは「構成主義」の志向が感じられ、全体のまとめ方には、その頃サヴィニャックが師事したA.M. カッサンドル(1901~68年)の影響が窺えます。
ここで関心がそそられるのは、年齢的には6歳しか違わず、しかし当時のキャリア、知名度で雲泥の差があった両者の出会いです。まず、コレージュ(フランスの4年制中等教育機関)を中退したサヴィニャックが、パリ地域公共交通公団STCRP。現・パリ市交通公団)の見習い図案画工を経て(在職1923~24年)、ロベール・ロルタック広告アニメーション工房画工も辞め(在職1925~29年。但し28~29年は兵役のため一時離職)、フリーランス活動の第一歩を踏み出した頃、すでにカッサンドルは、「通りすがる者の視線を瞬時にして釘付けにする」ポスターで、花形デザイナーの地位を築いていました。なかでも、本展出品作の《北部鉄道:快速、贅沢、快適》(1929年)

など、1920年代後半におけるカッサンドルの「鉄道ポスター」は名作揃いです。
1931年になると、カッサンドルは、やはりフランスのモダン・グラフィックの第一人者シャルル・ルーポ(1892~1962年)と共同で、広告代理店(今日のデザイン事務所)「アリアンス・グラフィック社」を設立。その肝煎りを務めたのが、1926年以来、カッサンドルのポスターを制作したレオナール・ダネル工房リールの美術印刷社)のモーリス・モラワンでした。前述の《北部鉄道:快速、贅沢、快適》がダネル工房によるのは、言うまでもありません(画面中下に「IMP. L. DANEL – LILLE=リール市、L. ダネル印刷」の印記)。


一方、独学・実務経験の乏しさもあって、チャンスに恵まれなかったサヴィニャックは、1933年、一念発起してアリアンス・グラフィック社を訪ねます。そして、アポ無しの飛び込みだったにもかかわらず、カッサンドルに会うことが叶い、すぐさまポスター1種とチラシ2種の仕事を与えられたのです。ところが、翌年にモアランが急死したため、同社は倒産・解散に追い込まれ、以降、サヴィニャックは、カッサンドルの私設アシスタントとなりました。この時代にサヴィニャックが手がけた《北部鉄道:ディーゼル特急》(1937年)

は、カッサンドルを踏襲した「(超)一点透視図法」のスタイルで、丸みを帯びた流線形が特徴的なディーゼル特急車両「34/37形」を全面に打ち出したもの。
制作はパリのダネル工房ですが、興味深いことに、消滅したアリアンス・グラフィックの社名が使われています(画面右下に「ALLIANCE GRAPHIQUE|L. DANEL|Paris=パリ市、アリアンス・グラフィック/L. ダネル印刷」の印記)。

また、同じ図案でありながら、下半分の文字情報(本作「ディーゼル特急|パリ~ブリュッセル3時間|パリ~リエージュ3時間50分」)が異なる色違い版も存在し(別作「ディーゼル特急による速達な旅|パリ~リール2時間25分」)、当時、カッサンドルの名声を借りた「旅物」が、どれほどクライアントと大衆にとって魅力的だったかは言わずもがな、として良いでしょう。(続く)

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本展の第一会場・練馬区立美術館の開催は、大変な賑わいのうちに無事終了いたしました。いよいよ来る4月29日(日)からは当館で始まります。期待の第二会場で初めて観覧される方はもちろんのこと、練馬へお越しになった方も、ロケーションや空間が異なる宇都宮を再訪し、「サヴィニャックとともに“北関東”の旅を」味わっていただければ幸いです。また、図録を買いそびれた皆さんも、ぜひご来館くださいますようお願い申し上げます。

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